瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。
http://www.radiokishiwada.jp/simul/
---------------
苦しんでいるときに自分を客観視するお話です。
先生:「結構苦しんでいる自分って面白いのよ。シューティングのゲームがあるでしょう?昔ゲームセンターでやったりしてたの。自分が苦しくなっているときはゲームの中にいる主人公に自分はなってるって思うの。どういうことかというと、ゲームの主人公はゲームの中で生きているこということを気づいてないのよ。」
年美さん:「自分がゲームの中の人間だということを知らない。」
先生:「そう。知らないから逃げ惑う。これがこの世の中のあらゆる現象なの。この人からこんなキツイことを言われたとかね。それを必死になって逃げるか、戦った相手を潰していくか。ゲームの中で生きていることを知らないあの人たちはすごく頑張って苦しそう。
それを操縦しているのは私。だから自分が主観的になりすぎて何かで自分が苦しいなと思った時は、また私ゲームの中の主人公になってしまったって思うの。一歩外から私を眺める。痛そうに見えるけど本当は痛くない。操縦している私が怪我をしているわけじゃないから。
人の視線や人の言葉でそんなに傷つくことはないのよ。プレイヤー側の視線でずっと見ることを自己の目撃というけれど、それをすると楽しいのよ。」
年美さん:「確かに自分を他人に思えるし、自分が自分じゃないというか、一歩引くことで楽になりますね。」
先生:「楽どころか楽しいのよ
どんな事になったってまだ私たちはライフがあるから復活してゲームができる。」
年美さん:「命がある間はずっと挑戦できますね。」
先生:「私たちの命は突然の終了しかない。突然どこで終了するかわからないんで思いっきり走らせたほうがよくない?仏教を勉強したらそういう視点が持てたの。そうしたら主観から客観的に変わる。目撃されている側から目撃している側に変わると抜け道も見えるし、どうしたらいいかが見える。目撃される側になっていると視野が狭い。」
年美さん:「そうですね。目の前のことしか見えないですよね。」
先生:「目撃者になって抽象度をあげる。それをすると全貌が見える。その視線を得れるようになったのが瞑想なの。瞑想を深めたらそれに気づけたの。それはどうしてかというと・・・」
区切りがいいのでこの辺で![]()
先生はよく客観視ということを言われます。本当にそうだなと思います。客観視になるには冷静さも必要ですが、人脈も必要なのかと思います。誰も助けてくれる人もいなければ知恵もなければ困っている時に客観視になるのは難しいような気がします。
コロナになって交流会も少ない中人脈を増やすのって皆さんどうしているんでしょうかね。知恵もなく人のご縁が長く続かない私としてはどうしたものかと思います。これから私のような我が強い人はもっと生きにくい世の中になっていくんじゃないかなぁと感じます。自分が困った時に客観的に見れる視野を視野を今から作っておかないとですね!