瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

下差しこちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。

http://www.radiokishiwada.jp/simul/

 

 

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今週のラジオは沖縄からお届けです。まず疲れについてのお話からスタートです。

 

 

 

先生:「疲れているって絶対に外部の要素じゃないの。外で何が起ころうが誰が何をしようが誰が私に何を仕掛けようが、

 

 

 

自分が自分に仕掛けない限り人は疲れない。

 

 

だから原因は全て自分。現象が片付いてくれると私は楽なのにと思うけれど、その現象が片付いてもまた何か現象があったら、同じような捉え方で自分の中に収納していく。だから今幸せじゃない人は死ぬまで幸せになれないの。捉え方だから。」

 

 

 

豊さん:「幸せは一生来ないゲッソリ

 

 

 

先生:「前にご相談で、今すごく辛いことばかりあってすごく不幸。光静先生は大変な事が起きているのにいつも幸せそう。私もいつか先生のように幸せになれるでしょうか?というご相談だったの。『きっといいことあるよ。』って言って欲しいのかもしれないけれど、瀧本は逆を言いました。

 

 

 

いま幸せじゃなく自分は不幸だと思っている人は10年後も20年後も不幸です。

 

 

今起こっているその事が不幸を感じさせているのではなくて、その起こっていることに対する解釈の癖があって、不幸だと感じてしまう癖のまま出来事を体験していくので、自分が目撃する自分の姿は常に不幸を見ていく。その角度の視野を手放さない限り何が起こっても不幸という認識になる。

 

何があっても”これって面白そう照れ”と楽しんで捉えられる人は何が来ても楽しい。”困ったなぁ”くらいは思うけど苦しくない。困っている事と苦しいことは全然違う。困ったと思ったら誰かに力を貸して貰えばいい。困ったということをずっと目撃し続けるだけでもいいかもしれない。この世は諸行無常だから変わる。」

 

 

豊さん:「なるほど。」

 

 

先生:「諸行無常という世の中にいるという大前提で捉えているので、その事が続くわけがないのに、少しの間続いている体験は貴重な体験でしょう?この困った出来事は諸行無常という中抵抗してし続けてその形を留めている。凄いでしょう?この世のあり方がそのことを変化させてくれる。だから変化していく過ぎ去ってゆく儚い姿を見ていくのがいいのだけれど、困っている時間を短くしたほうがいい。だったら、その困り具合を楽しむ。ネタにしようかなって爆  笑

 

 

 

区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

 

困っていることを楽しめる先生はすごいですね。

 

諸行無常とはいえ実家にいた30年はキツかった。きっと気の合わない義父や義母の方と同居されている方や、介護が何十年と続いている人は永遠のように感じることでしょう。自分の体力もなくなり老化していくのだから。いつも実家にいた時に仏教を学んでいたらどうなっていたんだろう?と思う。

 

嫌だったことも楽しいと思えるようになっていたのだろうか?きっと実家を離れるのが早まったかもしれない。給料が安かったから一人で生きていく事が出来ないと思い込んでいて自立できなかった。けれど、そんなに嫌なら家を出ればいいし、困ったときに助けてもらえずのたれ死んだとしたら自業自得だと割り切れたかもしれないなぁと。

 

今が幸せでない人は幸せになれないという言葉を昔読んだ時、意味がわからなかった。多分、幸せになれるかもしれないけれど、それは一瞬で継続しないということではないのかなと思う。全く幸せが来ないわけじゃないと願いたいなぁ。