瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

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死んだ先の未来のお話の続きからです。

 

 

 

先生:「死んだ先が皆んなわからないから、心に潜む恐怖がある。それにずっと恐怖を抱いている事を無明の闇という。」

 

 

年美さん:「わからないものは怖いというイメージがありますよね。」

 

 

先生:「まだ体験していない時間軸のことを仏教では未来というんだけど、その未来のことがわからないという状態があると今が怖いという状態を作るの。今不安があったり、落ち込んでいたりするのは今に問題があるのではなくて、どうなるかわからないという未来が怖いのであって、今のそのことが怖いんじゃないということなの。それを仏教はすごくいっているの。

 

だから、肉体を手放した後に対してのあり方を知ろうともしないし学ぼうともしないから、今の人たちは何をやってもふとした時に孤独になったりする。『私は専業主婦のままでいいのでしょうか?』という質問を頂くけど、専業主婦だから社会に対しての存在価値が低いと思っている人がいるけれど、主婦だからじゃないの。趣味も何も持っていないからじゃないの。

 

 

 

もっと遠い未来に対して、死んだらどうなるかわからないから無価値観になっているの。

 

 

どうして私はこんな無価値観なのかしら?私はただ夫の料理を作っているだけだからだわ。キラキラしている人は皆んな目標があるからだわ!というように、今に問題があるから落ち込んでいると思うんだよね。そうではなく、無明の闇が今のあなたの苦しみを作っているの。」

 

 

年美さん:「そうなんですね。」

 

 

先生:「苦しみや空しさを補うためにブランド品を買ったり、皆んなでご飯を食べたり、出世しようと頑張ったり、全部後生に対するどうなるかわからない不安を紛らわすためのものなの。」

 

 

年美さん:「それを知ると、いまたくさん幸せを感じておかないとダメですね。先生がいつも仰っている、自分を幸せにするということがどれだけ大事かということに繋がっていくんですね。後生が今の感情のままでいく。幸せだったら幸せのままでいくと思ったら、ちょっとした事でも幸せを感じておかないともったいないなって思います。」

 

 

区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

無価値観という言葉が出てきましたが、無価値観というのは自分を無価値だと思ってしまう事だそうです。私がそうですね。勘違いでも自分が有能だと言える人だったらいいなぁと思います。

 

自分が無価値だと思うのは、本当に自分に才能がないからだと思っていたのですが、どうやら後生の闇が原因のようですね。何度も書きますが、私は死んだ後より死に方の方が怖い。死んだ後のことなんて私からしたら架空の世界だからどうでもいいんだけど、死に方は今の私に直結する事だから本当に怖い。苦しまずに死にたいお願い

 

死に方を選ぶこと、もしくは痛みとか苦しみの回避方法などはないのだろうか?毎日ゴミ拾いをしたら3日苦しむだけでいいとかね。そういうのがわかれば、犯罪も減るんじゃなかろうかと思います。どう思います?