瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。
http://www.radiokishiwada.jp/simul/
---------------
本題の結婚についてのお話です。
先生:「私は結婚できますか?という人を一人で分析したの。真面目に分析して、ちゃんと色んな文献や心理学で今までまとめてきたノートとかには答えがなかったの。やっぱりお釈迦様特有の存在論があるの。これを釈迦の存在論というんだけど、その中に答えがあった
」
年美さん:「
」
先生:「前から講演会で何度も言っているんだけど、それと結婚できるか悩んでいる方とのひも付きをしていなかったんだけど、ここに答えがあるんだ
ってわかったの。
私は結婚できますか?と言っている人はどういう人かというと結婚できない人でしょう?結婚に対しての願望はあるけど結婚まで至らない。途中で別れてしまう。あらゆるご相談を受けてきて共通点があったの。
ここか![]()
すごくシンプルな事だった。なんでもっと早く気がつかなかったんだろうって。
我々は、まず自分がいて周りに友達がいて環境があって社会がある。中心に自分がある。年美ちゃんの場合は、年美ちゃんがいて、子供がいて、友達がいて、社会がある。まず年美ちゃんが中心なわけ。
瀧本の場合は、自分がいて年美ちゃんという弟子がいる。つまり自分を中心に外界を見ているんだけど仏教は真逆なの。仏教は、環境や関係があってあなたがいるという考えなの。」
年美さん:「![]()
![]()
」
先生:「先にあるのは関係性なの。それを仏教では縁と呼ぶ。縁が先にあってあなたがそこにいる。年美ちゃんがいるから、師匠である私が存在しているという事なの。私の目線から、目の前に年美という弟子がいるから私がいる。年美ちゃんの目線からいうと、子供がいるから私は母として存在しているという事なの。」
年美さん:「なんとなくわかります。」
先生:「年美ちゃんの目線からいうと、瀧本がいるから弟子の私がいる。つまり環境があってご縁があってそのご縁にふさわしい自分がいるという事なの。」
年美さん:「面白いですね
」
先生:「仏教は逆なのよ。普通は私がいて子供がいる。私がいて友達がいる。私がいて親がいるなんだけれど、親がいるから娘としての年美ちゃんがそこに存在している。そっちからしか見ないの。ということはどういうことかというと、瀧本の目線からいうと、年美ちゃんがいるから私は師匠としてここに存在している。
年美ちゃんを縁として結果瀧本は師匠という出来事を体験しているの。これを縁起というの。この縁が巡ったその縁にふさわしい師匠としてなんとか頑張ろうとしている。子供という縁があるから母としての年美ちゃんがいるわけ。」
区切りがいいのでこの辺で![]()
このお釈迦様の存在論びっくりですね。先生と出会う前に同じような話を聞いたり読んだことがあるのですが、その時は日本語だから意味はわかるのですが理解できませんでした。当時は理解するというよりも、イライラが収まらなくてそっちに気が散ってしまい理解できなかったような気がします。
この考え方すごくいいなと思います。相手がいるから自分がいる。自分が変わればおのずと相手との縁も変わる。シンプルですね。自分を軸に考えるとろくなことにならないというか、なんで思い通りにならないんだろう?と思いますが、相手がいるから自分が存在できると思うと、自我が大人しくなる気がします。
真解学という学問では私は自我が人の何倍も強いから人間関係にトラブルがあるということなので、すごくいい話を伺ったと思います。
このお話はホワイトボードつきでWEBサロンでお話されているのでぜひ聞いてみてください![]()