瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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三草二木のお話です。
年美さん:「森の中に大きな木と小さな木があって、小さな木は隣の大きな木を見ながら『いいなぁ
あんなに雨が降った時にいっぱい水を浴びれて・・・。僕はちょっとしか浴びれない
』と小さな木は言っていたんだけど、もし、大きな木と同じような水を自分が浴びたら小さな木は流れてしまう。結局、人というのは自分にふさわしいものしか与えられていないという教えです。
人は他人と比べて色んなものを得れない時に嫉妬したりするけれど、それはあなたにふさわしいものが今与えられているんだよという教えで、すごく好きなんです。」
先生:「そうなの。三草二木の例えをもう少し詳しく言うと、自分一人で修行をして自分で悟りを開きたいと思っている人とか、師匠に付き従ってとにかく聴き倒して悟りを得たいと思っている人というように、悟りに至るまでの修行の仕方の好みがあると仏教はいっているの。一人で独学して自分で実践していく方とかね。
それぞれの好みのタイプがある。どのタイプの人でも入っていきやすいように、仏教というのは一つの教えに対して3種類の教えがあるの。つまり、3通りの捉え方を作っているの。自分で学びたいと思っている人もその入り口からだったら入れるし、人に付き従いたいと思っている人にも気付きやすいように、全部エピソードとして入っているの。
それが三草二木もそうで、大きな大木であれ、中くらいの木であれ、小さな草であれというのは、一人でやりたい人、組織を作ってやっていきたい人、師匠についていきたいと思っている人というように、大木は〇〇を意味しというように一人づつの立場さえも作って説かれているのが三草二木なの。」
年美さん:「深いですね
」
先生:「どの立場の人であれ全員に等しく法雨は降り注ぐ。天からの雨はお釈迦様の教えのこと。どの形であれ分け隔てなく法雨は必ず落ちる。だから怖がらず自分のやり方やポジションを信じてやればいいというお話なの。」
年美さん:「初めてそこまで知りました
」
区切りがいいのでこの辺で![]()
三草二木のお話は1回だけ聞いたような気がします。確か仏教を勉強し始めて1年くらいだったと思います。
確か、草が大木に降り注ぐ雨を見ていいなぁと言っているけれど、実際そんなことが起きたら土砂崩れになって流されてしまうのですが、私だったら、なんで大木じゃなくて草に生まれてしまったんだろうと嘆くだろうなと思いながら聞いていました。
当時は、自分にふさわしいものが手に入っていると聞いても納得できませんでしたが、今は納得できますね。納得できなかった時は、まだ自分自身に希望を持っていたんでしょうね。貧乏だけれども本当の私はもう少しは価値があるはずだと。しかし、勉強すればするほど自分の価値が分相応ということがわかり納得するしかないですね。
自己否定をしているくせに昔の私が自分に多少なりとも希望を持っていたのが愉快です。