瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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今日はご相談内容からです。
先生:「一言でいうと仏教と他の宗教やスピリチュアルと徹底的に違うことはなんでしょうか?というご質問がきています。一言だけ言うと、
仏教という学問は妄想してしまったことに意味をつけない
というのが仏教の特徴。これをわかりやすくいうと、こんな夢を見たとか最近こんなことをよく考えるとか、こういう夢を見たらあの世に引っ張られるとか、これは全て妄想なの。
仏教が提示する妄想とは何かというと、そこに確固たる提示ができないもの。そのことを考え続ける事を妄想というの。じゃぁ、そういう事を考えているからこんなの違うとか、過去の因縁とか、先祖の祟りとか、証明できない事に関して人は悶々と考えてそこに意味をつける。」
年美さん:「意味つけます
」
先生:「意味つけるよね?それは不吉だとかね。それは良い兆しだとか。そういう目の前に実際に起こっている事ではない、精神世界の中で自分が立証できないものに関して考えている妄想の中身に関して仏教だけが意味づけをしない。」
年美さん:「なるほど。。。」
先生:「死後の世界も死んでから考えなさいというし、あの世があるかは死んだらわかるとかね。」
年美さん:「いま目の前にあることだけに集中しなさいってことですよね。」
先生:「そう。実在している目の前のことだけに集中する。そうじゃない時間軸の目に見えなくて証明できないものに関して、心を惑わせている状態が妄想。その妄想を不吉とか予言とか色んなことを言う人がいるけれど、仏教はそれを真っ向から否定していて、そこに意味づけをしない。これが唯一仏教だけの姿。だから生きやすくなっちゃうんだけどね
」
区切りがいいのでこの辺で![]()
仏教と他との違いが妄想に意味づけをしないという事だとは気づきませんでした。確かにスピリチュアルだと夢の内容や空模様で不吉とか言いますよね。話は脱線しますが、確か2000年ごろだったかノストラダムスの大予言や富士山噴火説はみんな不安がっていたけれど起きませんでしたね。地球が滅亡するなら勉強しても無駄だと思って学生の頃何もしなかったのですが、今を大切に生きていたら良かったなぁと思います。多分ノストラダムスの大予言がなくても勉強してなかったんだろうなぁとは思いますけどね。
どうせ妄想するなら不安とかではなくていい事を妄想したいですね。