瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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気付いたことはノートに記した方がいいようです。
先生:「いま心の中に停車している心が主人公なんで、さっきまで感動していた思考は次の思考に負けてしまって感動がなくなるの。だから、このことに気づきを得た!っていう事をちゃんとノートにまとめておかないとね。思考は使い捨てなの。」
恭子さん:「そうですね。」
先生:「自分がこうだ!って思っていることと、やってくるメッセージって違うタイミングの時がある。フッと目に入ったものが相反する事だったら拾わないことがある。けれども、そこをしっかりと、違う意見のメッセージでも拾うという事ができるようになると、ものすごい自灯明ができる。自分で自分を正すことができる。自分が求めていたようなメッセージを拾ったときに”あっ
”て気づける。私たち人間てそうだと思うの。
急に話がわかるけど、そういうような小さな気づき、必要な波動が必ず色んな媒体を通してみんなにやってくるという気づきのこと。常に自分の向上の方向性に導いてくれる事ばかりが起こっている。意味づけはいい加減やめて”お!こんなメッセージが来た
”というように捉えていこうってする気づきを積み重ねると、その上に悟りがあるんだって。現状で悟られた方って何人もいらっしゃるの。日本にもいらっしゃる。」
全員:「![]()
![]()
」
年美さん:「どうやったらわかるんですか?」
先生:「お会いしたことはないんだけど、そのお坊さんはご自身で悟ったって言われている。心を観て心を観て、ヴィパッサナー瞑想やヨガもされ本当に修行された方なの。その人が悟りということに対して対談をされたの。それが本になっていている。
何が言いたいかというと、我々でも本当に悟るということができるっていう事をその方が仰っているの。それが、小さな小さな気づきの延長上に必ずあるって。
悟るってどうなる事なの?って思うでしょう?正しいことや間違った事という意味づけを一切しなくなるんだって。全てにおいて、ただその事が起きているという、その心で生きていく事がどれほどの幸せだかわかりますか?って。
正しい正しくない、悪い悪くない、間違っているとかそういう事ではなく、ただ私にこういう縁が巡ってきている。それに対して私はどうするべきか。その思考だけ。本当に穏やかになるんですよって仰っていたの。」
全員:「そうなんですね。」
先生:「自分に必要な事が起こっているという事が大前提。なので非常に味わって体験する。何が起きても。すごくない?」
恭子さん:「味わって体験するというのがすごいですね。」
区切りがいいのでこの辺で![]()
日本でも悟られた方がいらっしゃるんですね。何時代の人なんでしょうか?検索したら出てくるかな?私が検索すると自称悟った怪しい人が出てきそうで怖いからやめます![]()
いつもこういう話の時に思うのが、悟った人だからそんな目には合わないとは思いますが、急にオヤジ狩りにあったり、テロに巻き込まれたり、恐怖映画のような出来事が起こった時はどうするんだろう?敵からダッシュで逃げたり戦ったりするのかな?
私のイメージだと、悟っている人はみやぞんさんのようにいつも朗らかに笑ていて、動作がゆっくりしているイメージなので、ダッシュで逃げたり動いたりするイメージがないです。まぁ、こんなことを考えている時点で悟りから程遠いところにいるんでしょうね。。。
どうやって悟ったのかよりも、何をきっかけに悟ろうと思ったのかが知りたい。生きづらさを感じてなのか、それともお寺に生まれたからなのか。いづれにせよ、ものすごい修行ができるほどの忍耐力があったという事がすごい。
忍耐力といえば、私はいま在宅勤務で自宅で業務をしていますが、暖房器具がないので震えながら仕事をしていてタイピングするのも一苦労。忍耐力がないのでなかなか仕事が進まない。まだこれくらいの季節なのに寒さに耐えられない。。。うーん。体も心も激弱だわ![]()