瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。
http://www.radiokishiwada.jp/simul/
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親しくなった相手の要求が徐々に強くなってくる場合はどうしたらいいのでしょうか?
先生:「お釈迦様は”あれ?”って思った時にはすぐに縁を切れって仰っていたけど、私はその状況を相手にはっきり言う。それによって離れた人はたくさんいる。これは相手の方の課題じゃない?
もちろん、相手側の方からしたら100%正当な理由がある。相手の視線でいうと、これだけ瀧本にしたのに感謝が足りないって。相手の方の目から100%見えていたらそれは真実。そう思う方だったんだなと思う。今まではいい距離感でご縁があった。一緒に勉強して楽しい思い出もあった。その良好な縁が形が変わっただけ。」
全員:「なるほど。。。」
先生:「そろそろ的を得た話をすると、今までは清らかに相手に施しをする事ができていたのに、どこからか自分の気持ちが刃を持ってしまって、過剰的に相手に接近をしてしまう。悪意性なる計算をはらんだ施しをし始めている自分に嫌気が指すように、自分の行いを咎めたいと思っている人なら、その人に対する話はちゃんとしないといけない。
そこは長い仏教の話の幕開けになる。つまり承認欲求の対象に対して認めてもらいたいから施しを何度もする。回数が増えると相手が自分を受け入れる許容量が増えると思っているの。けれど、相手との距離感に変化がないとか、相手が他の人との付き合いを広げたり、相手の方の中でスペシャルになれない事を知った時に人は怒りを覚える。」
全員:「なるほど
」
先生:「それが所属感の獲得であったり、自分に対しての名誉欲だったり、そういうようなものを自分が求めてしまっている。
その求めてしまうのはどうやったら抑えられるのかよりも、
なぜ求めてしまっているのか?という原因を知らないといけない。
知った方が手っ取り早い。
鑑定で紐解くと、何歳の時にターゲットが誰で、どういうような事があったがために承認欲求が過剰的に反応するようになったのかがわかる。鑑定しなくても言えるのは、やっぱり養育されている時の親との関係性に対しての地盤固めを今やっているという事なの。」
全員:「なるほど。。。」
先生:「やっぱり両親に愛されなかったという想い。本当はみんな愛されているのよ。子供って親の欠点見つけるからね。『なんでここでお母さんこうしてくれなかったの
』みたいな事を、大人になっても持ってるからね。」
全員:「はい。」
先生:「その記憶が現実本当だったかどうかもわからないけれども、何回も思い出す度に尾ひれがついて自分の中で大事件になる。だから、子供が時に親に向かって『お母さん、昔〇〇って言ったじゃない』となるのよ。でも親は『そんな事あった![]()
』となる。」
れい子さん:「よくあります
」
時間がないのでこの辺で![]()
幼少期に感じた愛されなかったという想いは、大人になっても引きずるんですね。私だけかと思っていましたがそうではないんですね。少し安心しました。先生と知り合う前の私。つまりセミナーに通い詰めている時の私は、まさしく幼少期の愛情不足で怒りまくっていて、その怒りを両親に当てればいいものを、それができずに周りの人に八つ当たりしているという傍若無人な人間でした。
幼少期のことは過去だから、大人になった今どうすることもできない。それは頭ではわかるけれど心で理解することは難しい。執着しているとなかなか腹落ちできない。。。かなり当時は苦しんでいたなぁと思います。
先生はみんな愛されていたと仰っていましたが、私も愛されたいたんでしょうかね?私的には、親は子供を愛しているというのは理想論だと思っています。私のようにどうしても親を愛せない人もいれば、親でもどうしても子供を愛せない人もいると思うんですよね。
子供を愛せないのに親になってしまった人はどうすればいいんでしょうね。きっと子供が親を憎むより辛いでしょうね。だって世間がそんな考え許さないですから。