瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

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今日から新しいお話です。ご質問から始まります。

 

 

 

〜〜〜〜質問内容〜〜〜〜〜

 

 

光静先生、いつも楽しく法話をしてくださりありがとうございます。1つ1つ追いかけながら勉強しています。お釈迦様が王族生まれの方だったとか、四苦八苦の言葉の意味などを理解している段階ですが、これからもできる限りついて行こうと思っています。

 

四門出遊(しもんしゅつゆう)というお釈迦様がお城を初めて出た時のお話について質問させてください。

東の門から出られて老人に出会う。次は西の門から出て病人に出会う。次は南の門から出て死人に出会って、最後に北の門から出た所に修行僧に会ったということは、この東西南北という言葉の順番はお釈迦様が門を出た順番を意味しているのでしょうか?

 

もうしそうだったなら、なんだかすごいなぁと感動してしまいますラブ

 

なんだかくだらない質問ですみません。取り上げて下さらなくても結構なのですが、もしも伺えれるなら講演会等でお話していただけると嬉しく思います。

 

 

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先生:「さて、このようなご質問でした。四門出遊(しもんしゅつゆう)って知ってる?」

 

 

 

年美さん:「知らないですあせる

 

 

 

先生:「お釈迦様は王族のお生まれでしょう?だからずっとお城の中で過ごされていたの。お城の外に出た事がなかったの。それは狭いところにずっといたわけではないの。城が大きいからそこから外に出た事がなかったんだけど、お城の中にいて生きる意味がわからなかった理、何もそこに人生の楽しみがなかったの。外に出た事がないから外に喜びがあることも知らない。ある日、外の正解を見てみたいと思って生まれて初めて家来をつけて外に出たの。それが四門といって4つの門から出ていろんな気づきがあったというのが四門出遊(しもんしゅつゆう)なの。本当にすごく有名なお話。それがあったからこそお釈迦様が修行に行こうと心を決められたからね。

 

質問者の方がお話された内容なんだけどちょっと違うの。ごめんなさいねお願い

 

東の門から出られたというのは大正解!そこに腰の曲がった杖をついたしんどそうな人がいたの。そこで家来に『なんで棒を持って歩いているんだ?』と聞いたの。そこで『あれは老人でございます。』と答えたの。なぜなら、お城の中には老人がいなかったの。」

 

 

 

年美さん:「びっくり

 

 

 

先生:「『老人ってなんだ!!』と家来に聞くと、『王子、あなたもいずれなります。』と言われて驚かれたの。すごくショックを受けて城に帰った。でも、ショックだったからこそ、違う門から出たら何かがわかるかもしれないと思って今度は違う門から出たの。」

 

 

 

区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

 

四門出遊(しもんしゅつゆう)ですが、以前お話を伺ったのですが話の内容は覚えたいたのですが、タイトルは覚えていませんでしたあせる

 

それにしても老人がお城にいないとは驚きですね。ご両親は短命だったのでしょうか?そもそも、この老人というのが何歳七日にもよりますよね。もしかすると、当時は栄養もそんなに行き渡っていないから40歳くらいで杖をついて今でいう90歳くらいの体内年齢だったのかもしれません。

 

東西南北の呼び方は私も不思議でした。全く違うと思いますが東西と始まるのは東太后、西太后と東の方が権力があったからかなぁと子供の頃西太后の映画を観て思いました。あの映画を観て本当に残虐性がある人に権力を持たせるとたまったもんじゃないなと思いながら観ていたのを思い出します。

 

さて話を元に戻すと、城の中ですっと平和に過ごしていてもなんのために生きているかわからなくなるんですね。どんなに美しい人の舞や楽しい演奏を聴いても退屈を払拭することはできないのかもしれませんね。私には縁のないことなのでわかりませんが、私なら城を捨てることはしないし、すっとエステをしたりしているだろうなぁと思いますてへぺろ