瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

下差しこちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。

http://www.radiokishiwada.jp/simul/

 

 

------------------

 

 

 

愚痴を言っている人のお話からです。

 

 

 

先生:「その方の言葉を受け入れてあげるか、他所に行ってと言うかの境界線が明確にある。それが3種類ある。

 

  1. その方の言葉がただ単に愚痴を言っている。この方はただ愚痴を言いたい心境。心が修羅界の方は同じ方のところに集まればいいと思う。
  2. 「ちょっと聞いてください」って言う事で愛情の獲得のチャレンジをしている人は、そういう人同士で集まればいい。
  3. 上記に当てはまらず自己の向上のために言っているなら話を聞く

 

自己向上のため以外だったら私が聞かなくてもいいと思うの。私が格言で【人から選ばれる人間になれ】って書いたと思うんだけど、その方の心の中の六道輪廻の中のどの心に選ばれるかという事なの。だって、お釈迦様のところに行って愚痴を言いに行く人はいなかったと思うの。どうにかしてこの心のままでは生きていけないからどうにかして自分を向上したい、今のところから脱出したい、けれど方法がわかりませんという方がお釈迦様の所に行く。ただ愚痴を言うだけの人をお釈迦様は教団から切ってたからね。バッサバッサと。だから、そこを怖がる必要はない。相手の心が人間界か天界の人に選ばれたいね。」

 

 

年美さん:「そうですね。それが利用ですね。選ばれるようになるには、自分が選ぶ縁も選んでいかないといけないという事ですよね?」

 

 

先生:「今自分がどのような縁に選ばれているかということは、相手の人からどんな話をよく聞くかという事に耳を傾けるべきなの。自分ですごく気にしていた時期がある。やっぱり若い頃は愚痴をたくさん聞いていた時もある。それはなぜかというと私が愚痴を言っていたから。

 

ところが、途中から愚痴を聞いたことがここ数年ないビックリマークって気づくの。瀧本に愚痴を言っても全く相手にされないという事が浸透したのかな?そもそも、好きと愚痴を言う人が好きじゃないの爆  笑

 

 

 

年美さん:「私もそうです。類は友を呼ぶっていうのはそういうことで、結局自分が愚痴を言わなくなったら愚痴を聞かなくなったということは、今度は愚痴を言わない人が周りに集まってくるっていうことですか?」

 

 

先生:「そうだと思う。愚痴を言うのが悪業だということを言いたいのではなくて、それがストレス発散の1つのツールかもしれない。それはそれでいいと思うの。いろんな趣味があるようにね。」

 

 

 

区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

 

私は人からどんな言葉を聞いているだろう?そもそも交友関係の狭い私は、話すと言ったら法友か会社の人しかいない。会社で愚痴ばかり言っている人には近寄らないし、法友に愚痴を言う人はいないので私が愚痴を言わなければ愚痴を聞くことはないですね。

 

先生が愚痴を言う人を3種類に分類されているのが驚きました。同じ愚痴でも3種類もあるんですね。話を聞きながら切り捨てられなくてよかったなぁと思います。お釈迦様の教団で、愚痴ばかり言っている人もいたんですね。切り捨てられた人はその後どうなったのか気になります。

 

お釈迦様に出会って教団に入ったとしても人生変わらないということですね。私のイメージだと、お釈迦様に出会って説法を聞いただけで目からウロコ状態になって、愚痴を言っている人は言わなくって聖者になると思っていましたが違うようです。確かに仏教は行動哲学なので行動しないと変わらないですよね。

 

なので、仏教に出会ったとしても行動しないと変わらないということですねてへぺろ