瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

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格言「ある年代になると、友人知人を選ぶのではなく友人知人に選ばれるかどうかが人生となる」の続きからです。

 

 

 

先生:「こういうことがあったからあの人に会いたいとか、その出来事がなんなのか。心が辛いとき寂しいとき焦る時とか、人に見せたくない感情ってある。そうなった時に”あの人に会いたいな”って、苦しみから抜け出したいと思った時に相手から選ばれる顔にならないといけない。それから、ついつい私たちは人を自分が選んでいると思っているけど、実は人から選ばれているの。」

 

 

年美さん:「そうなんですか?」

 

 

 

先生:「例えばA子ちゃんとご飯に行きました。例えば会社の上司の愚痴をその子が言う。それは、あなたが愚痴を言うのにふさわしいと思われているからなの。そういう風に私たちは選ばれているの。」

 

 

年美さん:「なるほど。」

 

 

先生:「自分がその友達を選んでどっか行って買い物したりしていると思っているかもしれないけど、実はその相手の口から出る言葉。自分が効いているその言葉は、この人にだったら言ってもふさわしいってことなの。その人の中にもいろんな一面があるでしょ?

 

その子の愚痴を言う一面として選ばれていたり、その人の中の喜びを伝える人として選ばれていたり、その人の中に怒りがあったら怒りを聞く相手として選ばれていたり、その人の中にいろんな人格がある。心は六道輪廻で動くでしょ?

 

  1. 天界
  2. 人間界
  3. 修羅界
  4. 畜生界
  5. 餓鬼界
  6. 地獄界

 

つまり、心はクルクル動く。その全ての中で、自分がイライラしていてその鬱憤の発散をするために地獄界の心で話すのにふさわしい人。自分が天界の時の心に一緒にいたい人。実は私たちは選ばれているの。

 

だから私は愚痴を聞くことは絶対にしない。それは慢心で言っているわけではなくて、私じゃなくていいじゃないですかって思ってる。だから、他所で愚痴を言っている人のところに行ったらどうですか?って思うの。自分の耳に届く言葉は、自分の人格とふさわしくあるとお釈迦様が仰っていたの。言葉はもちろん人から出るわけで、そういう意味でいつも私たちは人から選ばれているの。」

 

 

年美さん:「なるほど。。。」

 

 

今日は区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

 

六道輪廻。以前先生からお話を伺ったことがあります。輪廻と聞いたのでテッキリ生まれ変わりとか来世の話なのかと思ったら違いました。心の事でしたあせる

 

当時、私は常に修羅界または地獄界にいたので天界や人間界の事がわからなかったのですが、今はようやく阿修羅界からは脱出したと思います。そういえばこの頃、私の耳で聞く言葉が変わってきたような気がします。今までは私が率先して愚痴を言っていたので愚痴しか耳に届かなかったのですが、今は自分も言わなくなったし、そもそも私の周りは愚痴を言う人ではなく穏やかな人なので穏やかな言葉しか聞かなくなりましたね。

 

先生のお話を聞いて思ったのは、私は人から選ばれる人になれるのだろうか。。。人付き合いが苦手な人は困りますね。