瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。
http://www.radiokishiwada.jp/simul/
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今日はれい子さんのお話からスタートです。
れい子さん:「先生が前のお話会で『傷が付く人というのは自分に責任がない。一ミリたりとも自分に責任がない人が傷が付くんだ』って仰っていた時に、それから”私は今傷がついているな”って思った時は責任ないって思ってるんだわって考えるようにしているんです。」
先生:「それはエライ
」
れい子さん:「責任が全部ないという事はない。どこかに責任はあるはずって自分に責任を持ってくることをする事によって傷が薄らぐって気づいたんです。」
先生:「実践ってそういうことよね。『得た知識で実践するってどういう事なんですか』とよく聞かれる事がある。『ブログでよく先生が実践をすると書かれていますが仏教の実践するってどういう意味ですか』って多くの方に聞かれるの。つまりは今れい子が言ったみたいにすることなの。
れい子が言っていた話を補足すると、講演会の時に人から何かを言われた時にすぐに落ち込む人や傷が付く人は実は〇〇な人である。〇〇はなんでしょう?というクイズを出したの。そうするとみんなは気が小さい人とか色んな答えが出たけれど、正解はそうではなくて無責任な人が傷つきやすいという話をしたの。
最初そのフレーズを言うと『は?』って顔をしてわからないようだったの。何かが『起きてどうしてよ』って言われるようになった。その時に悲しんだり怒ったり傷ついたりするのは、目の前で起きているその出来事と自分は本当は無関係なのになぜこんな事を言われないといけないのか?という、目の前の好ましくない出来事と自分の立ち位置は無関係であるとジャッジをする人が傷ついたり腹が立ったり悲しんだりする人ですよというお話。
けれども、もしそこにほんの少しでも責任を感じれば”そうか。確かにもう一声言っていればこうならなかったかもしれない”。そうなると多少自分にも責任があるな。目の前の好ましくない出来事に対して自分が何らかの責任があると自らが責任を探しに行くと傷つくとか腹がたつよりも『仰る通り』って建設的に話ができるという話を講演会の時に話をした後に、れい子が”私にも責任があるかもしれない”と思うようになったという話ね。
そういう事を実践っていうの。」
全員:「![]()
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」
先生:「今回のラジオは重要度の話がメインだったけれど、確かに人生を変えたければ見えるものが変わらないとダメなの。見えているものは自分が決めて見ていると思ってはいけない。過去の記憶で重要性のあるものを自動的に見てしまう。だからそれを変えようと思ったら一度私のお勉強会においでって思うけれど、近くのお勉強会でもいいので自分が気になるキーワードのお勉強会に行ったらいいと思う。
重要度が低いものは見えませんよ。重要度が高いものしか見えない。でも重要度が高いものはあなたが決めているのではありませんよ。何かうまいこと人生が進まないと思うのであれば外にあるものを変えるのではなくて、外にはたくさんあなたが見えていないものがたくさんあるので、それが見えるように重要度の変更をかけていかないといけませんよという話です。まずこの流れをわかると手の打ち方がわかるよね?」
今週のラジオ内容はここまでです![]()
今日の東京は曇り空で若干強風です。桜が昨日満開になったのにこの風だと多くの花びらが舞うでしょう。ちょっと残念です。
さて、れい子さんの実践力はすごいです。多分一番本気でやっているんじゃないかと思います。私は実践をちょっと躊躇ったりうっかり忘れてしまったりするのですが、れい子さんは本気でやります。仏教の実践がわからない人はれい子さんに会って話を聞いてみるのが一番いいと思います。
私は昔は無責任の塊だったので、私は悪くない被害者だと思って生きていたので毎日怒ってばっかりでしたね。私の場合無責任だけでなく世の中を恨んでいたので攻撃的だったので本当に周りにいてくれた友人に感謝ですね。
重要度が高いものは自分で決めているのではないというフレーズに救われます。自分の性格だと思っていたので。まだまだ私の重要度は変わってはいないけれど徐々に変化が起きている気がします![]()