瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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大切な人が亡くなった時のお話の続きです。
先生:「お守りの言葉を思い出した後はどうやって心を立派に前へ向けたらいいのかというのはわからない。それこそ、その時に考えたらいい。けれども大切な方が亡くなって自分がもうダメだと思って生きていけないというフレーズは感心できない。その人がどうやってでも欲しかった1日。この一行さえ持っておくと大失敗な選択をすることはまずない。」
年美さん:「確かに深い言葉ですね。どうやっても生きたかったのに今の1日を生きれなかったと思うと貴重な1日を生きさせてもらっていると思うと大事に使わないといけないなと思いますね。」
先生:「そう。願わくば後1日生きたいと思っていた日を私たちは生きている。その価値観や捉え方で今日を見たら大切に生きようって思うはずなの。あの人は生きたかった。私は今日生きている。そこは責任を持って生きていかないといけない。生き方がもっと立派になっていく。」
美千光さん:「確かに普通に病気もしないで生きているとそれが当たり前だと思うんですけど、それこそマスクとか今まで当たり前にあったものがないじゃないですか。すごく今マスクを大切に使っているんですね。」
先生:「確かに。期限があると認識したものは大切にするよね?マスクなんていつでもどこでも売っていると思ったから使い捨てしていたけど、いま売っていないし手に入らないってなったらすごく大切に使う。
絶対に命は期限があるのに今日も明日も明後日もずっと続くような気がする。それが本当に明後日隕石がぶつかって木っ端微塵に地球が破裂するってなったらどうする?何をする?ってなったら何もできないから心豊かな時間の使い方をするかもしれない。これが隕石ではなくても、明後日心臓が止まるかもしれないというのは事実なのにそれがわからないのよね。
私たちの命はもちろん有限であって無限じゃないのに無限なことを忘れてしまう。大切な方に何かがあった時に命が有限であったとまじまじと見せつけられる。命は有限でまだ自分の命は残してもらっている。そうなると大切に生きようという価値観が入れ替わるとしっかり生きていこうという立ち上がりが早い。しっかり生きることこそが供養であるということがわかる。
今だからみんなそうだなと聞けるけど、究極に辛い時だったらこの言葉入らない。今なら聞ける。だからよく味わって何回も何回も聞いて自分の中に入れて欲しい。」
区切りがいいのでこの辺で![]()
よくドラマとかで後追い自殺しようとしている人に、主人公の方が「相手はあなたが死ぬことを望んでいないの。しっかり生きることを望んでいるの。」というセリフを聞くたびに、綺麗事言っているなぁと思っていたのですが、先生のお話を聞いて、その人が生きたかった日を今日生きているんだと思うと、確かにそうだなと腑に落ちました。
誰かがなんとしてでも生きたかった今日を私は生きている。
なんか申し訳なく思ってしまう。1日を大事に生きてないからですね。大事に生きるってなんでしょう?今まで私が思っていた大事とは違うような気がします。今日はいい天気で日差しが気持ちいので陽を浴びながら考えたいと思います。