瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。
http://www.radiokishiwada.jp/simul/
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今日は因縁果の法則の続きからです。
先生:「私たちの自我は変わっていく。経験を積めば積むほど重要性のものが入れ替わっていくから欲も変わってくる。重要度が変わるから。自我は空(くう)であるという事を突き詰めると、私は宇宙であるというところに全員がいく。」
年美さん:「すごくわかりやすかったです。」
先生:「そうでしょ
」
全員:「異論ありません
」
先生:「だから空に飛んているカラスよりも自分のペットの犬や猫たちの方が重要度が高いよね?他人の子より自分の子の方が重要度が高い。みんな重要度が違うからそこの自我の達成を求めて戦ってしまうわけよね?仏教というのは自我というものをなくそうという事を言っている。
お釈迦様にもラーフラ君という息子がいたの。そこに咲いている一本の花というか雑草と自分の息子のラーフラ君との重要性の違いがわからなかった人がお釈迦様なの。」
全員:「![]()
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」
年美さん:「自我をなくすというのはそういう事なんですね。」
先生:「そういう事。だから重要度が全て均一で生き抜かれた方がお釈迦様なの。そんなことは私たちは無理。だから、お釈迦様は家族愛というのを好ましく言われなかったのはそういう事なの。命の差別があるという事だから。
『この野に咲く一輪の花もあなたの子供と同じである』と仰っていたの。そういう法話もたくさんある。行き着くとそういう方になる。私たちのような凡人には無理なんだけど、お釈迦様の悟りを開かれた境地というのはそういう境地であって、我々は宇宙の全ての生命体だった。1つだったという事なの。
苦しみというのは自我に対する執着から生まれている。だからそれを無くしなさいというのが仏教の教えなの。」
年美さん:「仏教は深いですね。」
これで今週のラジオ内容は終わりです![]()
私が仏教を勉強して救われたのは家族愛を良しとしていないところ。仏教を勉強するまでは、家族愛を大切にしないといけない。ないのであれば手に入れなければ幸せになれないと本気で思っていたので、家族と呼べる環境で育っていないと思い込んでいる私としては世の中の常識である「親孝行や親を敬う」だとか「家族を大事に」という事を言われると、周りが見えなくなるくらい怒りがこみ上げて暴言吐いていました。
でも、先生に出会って先生から仏教は家族愛を否定しているという言葉と、家族の定義を教えていただきました。仏教の家族とは、私と血が繋がっているから家族とか、単なる血の繋がりや単なる戸籍上の事でなく、自分が手を伸ばして助けることができる範囲にいる人の事。それを聞いた時に”私は緊急時自分一人で逃げて誰も助けないと思うから、やっぱり私は家族なしで私一人だな”と思いましたが、ただ血が繋がっているだけの戸籍上の家族と家族じゃなくていいんだと、家族愛がなくてもいいんだと教えていただいて、私の中で家族という執着が消えた瞬間でした。心がスッキリ軽くなったのを覚えています![]()
少数だと思いますが、家族愛のことで悩んでいる人は仏教の家族の定義を聞いてみるといいと思います![]()