瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

下差しこちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。

http://www.radiokishiwada.jp/simul/

 

 

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気をつけなければいけない事とはは何でしょうか?

 

 

 

先生:「そこで1つ気をつけなければいけない事がある。それは幸せ度の物差しを間違えてはいけない。」

 

 

年美さん:「はい。そこは私は仏教を学んでいるのでわかります。」

 

 

先生:「今素晴らしいことを年美さん仰っていますよ。」

 

 

年美さん:「ありがとうございます。」

 

 

先生:「これはちゃんと言わないと勘違いするかもしれない。幸せ度が上がるかどうかが仏教の実践であると言うと、お金をいっぱい稼ぐと幸せとか、話を曲げて聞いてしまうと我欲の方に行ってしまう。そうではない。実践をした向こうにどんな境地があるのかというと、正しくこの世を見るという八正道の一番最初に位置付けられている正見。

 

この世の中を正しく見る。

 

では、正しく見るというのはどういう事?お花を見たらお花があるっていう事?そうではなくて、正しく見るというのはそこにある意味づけを一切する事をしないこと。私たちは必ず意味づけをしてしまう。例えば飲みかけの空き缶が転がっていたら”汚いむかっ”って思うかもしれない。けれど、もし私が空き缶を拾って生計を立てているとしたら宝に見えるよね?”ラッキチョキここは楽園音譜”って。

 

つまり、そうではなくて”ここにどなたかが空き缶を残している”と、いうだけでそれに対して感情の意味づけをしない。あるがままをしっかりと見て、そこに居合わせた自分がどのような行動を正しく取るべきかを判断していく。そこに置いてある空き缶がどなたの所有のものでもなくゴミであるという判断だったらあるべきところに運ぶ。以上。」

 

年美さん:「意味づけせずにそのまま見るんですね。」

 

 

先生:「それが一番静寂なる心の有様であり、そこの境地を目指すんだけれども正しくものを見れない。なぜか?それは”私が楽しく散歩をしているのに誰かがゴミを置いた”という、”わたし”という主体性を持って物を見ている以上必ずそこに感情がつく。そして、誰かがと思う以上必ず犯人がいる。許せないという怒りがわく。これが煩悩のなせる技。

 

正しく見れない私たちの心の中に恐ろしい悪魔がいっぱいいる。それの最も恐ろしい悪魔というのが3つの毒を持っている。何だったか覚えてる?」

 

 

年美さん:「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)です。貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)です。」

 

 

先生:「そう。人には三毒があるからどうにかしないといけない。そうしないと幸せは遠いよという事です。ここから仏教の幕開けが始まるの音譜

 

 

仏教の幕が開けたところで今週のラジオ内容は終わりです。

 

 

正しく物を見るというのは難しいですね。私の場合は育った家庭環境で人生の幸不幸が決まってしまうと思っていますし、お金があれば卑屈にならないと思っていたので、それを手に入れようとしていたように思います。自分に不要だから手に入っていないのにそういう風に考えられませんでしたね。先生から仏教を学んで3年以上経ってから理解できるようになりました。なので、自分よりも裕福そうな人や親子関係が良好な人を見てもイライラする事はなくなりました。以前は自分と比べて羨ましいのを通り越して嫉妬というか憎悪になっていました。

 

今はそんな事を気にしなくなりご飯も美味しく食べれるようになったのでどんどん体重が増えていっています。昔の私なら太る=醜くなると思っていたので太る事も出来なかったように思います。

 

明日は私には衝撃的だったWEBサロンの内容を書きたいと思います。