瀧本先生のWEBサロンにアップされていた内容に驚いたので忘れないようにブログにアップしたいと思います。

 

 

先生:「今日はズバリ仏教は何ですか?という質問がたくさんあったのでお答えしたいと思います。

 

仏教は仏様の教えと書いて仏教ですけれども、つまりそれは何なんでしょう?仏教を違う漢字に入れ替えるとこれはお釈迦様が仰っていたのですがズバリ仏教つまり宗教は修行であると言われたんです。

 

修めて行う。そして行なったのちに自ら気づいていく。これが仏教。つまり実践のことです。じゃぁ、何を実践するんでしょう?

 

お釈迦様がいらっしゃった当時のインドではハゲタカに身を突っつかせる修行があったり、断食・断息という修行もあったんです。それを苦行といいますが、苦行している仲間の前に行ってズバリ言われているんです。」

 

 

お釈迦様:「あなた達はそれを行う事によってどれほどの人格の向上がありましたか?人格の向上にならないものはすぐにやめなさい。」って仰ったんです。

 

 

先生:「仏教の実践項目は全て人格の向上の一点に向かっている。それを修めて自らの人格を上げていくという事です。では、その人格を上げるための行動学は何なのかというと、このWEBサロンで少しづつお話ししているんですが、お釈迦様が一番多く言われていたのが、私たちは幸せになるために何かを得ようとする。1つよりも5つあったほうがいいから5つ得ようとする。この得る行為が幸せだと思っているとそうではなくて、普遍なる心の豊かさは与えた時の心の喜びなんだと仰っていました。

 

人に施しなさい。布施業をしなさいって言われていました。それを聞いて心に修めて実際にやってみる。すると”わぁビックリマークこんなことできた爆  笑”これが普遍なる幸せだよ。そしてやり続けると人格が上がる。

 

もっと私を労って欲しいと得ようとするのではなくて、労いの言葉を与えなさい。これは言辞施。それを行うと途端に穏やかな人間関係になっていく。行なってみようと思い心にちょっと勢いをつけて『あなたのお陰様です』と言ってみる。するとホッとその場が穏やかな空気が生まれる。

 

と、いうように仏教は自分で聞いたことを行なって心の変化に気づいていく。自分の心の方に矢印を向けて心がどう感じ取るかを常に見ていくという実践行動学です。だから実践抜きでは語れない。仏教は入るものではなく心のわだかまりを外すものなんです。」

 

 

 

サロンの内容は以上ですバイバイ

 

 

仏教が修行だと思っていなかったのですごく衝撃的な内容だったのでブログにアップしたいと思いました。あと、仏教は入るものではなく心のわだかまりを外すものというフレーズ。どうしても宗教となると心のわだかまりを外すというより、よりわだかまりや周りと軋轢ができてしまうイメージがあります。多分新興宗教のイメージが強いんですかね。あとは、宗教を嫌う家系で育ったからかもしれません。

 

私は自分の心を観るのがとても下手で、実践しても自分が変化しているのはわかりませんでしたし、今まで悪口しか言っていなかった私が労いの言葉を言った時には、自分で自分が気持ち悪いと思ったので、最初はいい気分はしなかったように思います。今は仏教を学んで4年になりますから、4年前の自分のイライラ度と今を比べると全然違うので変わったんだなぁと思いますが、実践しているときに心の変化は私はわかりませんでした汗

 

今日はもう眠いし明日の朝が早いのでこれで終わりますバイバイ