昨日2年ぶりに母に会った。母は髪が薄くなり全体が白髪になっていた。月日が経ったのがよくわかる。今年の10月、弟に第二子が産まれそのお祝いというか顔を見に弟の自宅に呼ばれて行った。滞在時間は2時間。自分の中ではよく頑張った方だ。やっぱり私の体はまだ30分毎に帰りたくなる様だ。父は膝が悪く歩けないので昨日は来なかった。良かったと思う。来ていたら弟の家で険悪なムードになっていただろう。
1番ビックリしたのは、母が弟の孫に好かれていることだ。いつの間にか4歳になった姪はお婆ちゃん、つまり私の母が好きな様で「今日はおばあちゃんの家に泊まりに行く」と弟にせがみ始めた。つい、「あんな家に泊まりたい人がいるなんて
」と叫んでしまった。
姪からすると息抜きができる家なんだなぁと。私からすると地獄の様な嫌な記憶しかない要塞の様な家なのに。。。見る視点が違うと同じ人や物でもこうも違うものなのかと驚いた。私からするとおもちゃも何もない家に行って何して遊ぶんだろう?退屈じゃないのかな?と思うが、そこが子供のすごいところで石ころ1つあると楽しいらしい。すごい想像力だ。
2時間ほど弟の昔話で盛り上がったが、母が殆ど記憶がないのがビックリした。母親なんてそんなものなのかもしれない。一体子供の何を見て叱ったりしていたんだろう?と気味が悪くなる。嘘じゃなく本当に私にしてきた事を覚えていないのかもしれないなと思い始めた。
母を見て本当にイライラしたのはテンポが合わない事だ。これは友達いないと母が言っていたがそうだろうなと思った。まるで私を見ている様だった。私も人とテンポが合わない。そして遠慮がない。ここでいう遠慮がないというのは、自分がしたい事を勝手にする事だ。
例えば、母は家に着くなり生後二ヶ月の孫を抱きたいと思ったんだろう。スタスタと洗面台に行きてを洗い寝ている孫を抱いた。一見何も問題がないと思うかもしれないが、一応お嫁さんに断った方がいいと私は思う。お嫁さんが驚いていた。勝手にキッチンに入ったりね。そういうことがよくある。
私はそういう事はしないが、勝手に相手の領土に入り込んでしまうことがある。自分で『それくらいいいの。』という軽い気持ちで。仏教を学ぶまでは母の行動を見て違和感を感じなかったと思うが、こういうことが続くと嫁姑問題が勃発するんだなぁと思った。頑張れお嫁さん!と心の中で応援した。
1回だけ、弟の家で修羅場っぽくなった。それは私が「そんなお父さんをいいと思って結婚したのはあなたなんだから」という人頃を母に言った時だ。そう言われるのがすごく嫌らしい。今までの私だと”事実だし、そんな事くらいでイライラして嫌な女だな”と思っていたが、今は”自分の人生に責任取りたくないんだなぁ。褒めて欲しいんだなぁ”と思う様になった。母親だから立派でいて欲しいと思っていた私は、私の中の完璧な母親像を母に当てはめようと、変わって欲しいと願っていたが、私も他人の領域に踏み込んでいたなぁと反省した。
昨日久しぶりに家族というものに会ってきたがすごく感情がドライになった様な気がする。気持ちが揺さぶられなくなったので少しは成長した様な気がする。
あと、母を一回先生のお話会に読んだ時に、逆視道のパンフレットに私の写真が載っていたのを見て私が講師活動をしていると勘違いをしている様で驚いた。何度話をしても理解してもらえなかったので母には講師活動をしているということにしている。1回理解出来ないと思い込んだら理解出来ない事を貫くのも私に似ているなぁと思う。
昨日の母の忙しなさを見て、本当に私を見ている様で恐ろしかった。たまには苦手な人に会うのもいいかもしれない。