瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。
http://www.radiokishiwada.jp/simul/
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ラジオ後半は先生がスポッチャに行った時のお話になります。正直仏教のお話とは関係ないのですが、運動が苦手な私にはない発想のお話の数々でしたのでその部分をピックアップして書きたいと思います。
れい子さん:「先生がスポッチャでプレイをしている姿が本当に綺麗で、久しぶりにプレイをするのに全てフォームが綺麗でプロ級なんですよね。それを見て何をするにも本気なんだなってわかったんです。」
先生:「そうなの。何をするにも本気なの
」
年美さん:「潜在意識に全部入っているんですね。」
先生:「いい事言った。そうなの。その日にれい子にも言ったけど私は本当にどんくさいから何も出来ない。何も出来ないからできる事といえばできるようになるまでする事しかないの。だからできるようになるまでやる。1回2回で何でもすぐできるように人っているでしょ?」
年美さん:「はい。」
先生:「すごいなぁって思うんだけど、私は1・2回で出来ないっていう大前提で行くから、まず1回2回で出来ている人を見ても落ち込まないの。私は20回目でどこまでいくかなっていう前提でスタートするから。20回やってもダメだったら、まだ20回では潜在意識には落ちないんだって思う。だから50回、100回、1000回やる。
目標は潜在意識が覚えてくれるまでやるということが繰り返す回数の目標だから回数を作らない、時間を作らない、日数を作らない。潜在意識に落ちるまでやる。1回2回でできる方というのは顕在意識で常にできる器用さがあるわけよ。でも、私はどんくさいから”コレってどうやるんだっけ?”頭で考えながらできないの。潜在意識に落ちたらその人と対等でしょ?って思うので潜在意識に落ちるまで全ていろんな練習をする。
それがまる1日かければできるものや1ヶ月2ヶ月かけないと潜在意識に落ちないものがある。潜在意識に落ちたなって思うときはどういう時かというと、何も意識しなくても同じクオリティで出来る。
例えばボーリングは150というスコアじゃないと嫌だったの。どうやったらそのスコアが出るのか?ガータってすごく嫌だなって思っていたからガータが出ないボーリングってどうすればいいんだろう?って考えたの。だから毎日ボーリングに行ったの。毎日毎日ずっとボーリングに行っていたの。」
年美さん:「そこですよね。」
先生:「そうしたら150スコアが平均して出せるようになった時にこれ以上は目指さない。そこまで興味がない。150くらい平均出せていたら男性と行ったって勝負できるから楽しい。立つ場所をだいたいこの辺でボールを構えてセンターの足一個左に足を構えたらいいなってcm単位で覚えてる。」
三人:「すごい![]()
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」
先生:「そうじゃないとわからないの。」
れい子さん:「先生のフォームがすごく綺麗なんです。本当にプロボーラーみたい
」
全員:「![]()
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」
れい子さん:「7時間施設で遊んだ時に先生が1回だけ仏教のお話をなさったんです。ボーリングの時に私がガータばっかりだしたから『れい子、ボーリングと心は一緒よ』って
」
全員:「![]()
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」
先生:「ちゃんと注意をすると注意をした分真ん中に行くの。まっすぐ真ん中に真ん中を当てるようにという意識が少しでもあれば少しでも真ん中に寄るのよね。コレが心と一緒って言いたかったの
」
区切りがいいのでこの辺で![]()
私と先生が大きく違うところはたくさんがあるが、まずスタートとして1回2回できる人を見て落ち込まないところにあると思う。私は本当に鈍臭いので、自分よりもできる人と自分を比べてできる人を妬み自分を蔑む。そしてだんだん自分を大嫌いになり、何かをやる前から諦めてしまう。どうせ自分には出来ないと。。。
だから、私の人生は何かにチャレンジすることよりも諦めイジケ、そして人を妬んでいる時間の方が長いと思う。
それに比べ先生はできるまで続けられているの人生の深みと幅が全く違う。経験という数がこんなにも人生の豊かさに反映されるとはと驚くし、今から気づいたとしても遅いし、どうせ自分が変わったところでそんなに変化ないだろうなぁと思ってしまう。
どうしてこんなに諦めるのが早いのか自分でもびっくりする。そう考えると私以外の人はすごいなぁと思う。何かにチャレンジをしたり何かに悩みそれを打破するために模索したりとしているから。この感情は今までなかった考え方なので変わったなぁと思う。今までは先生のように自分が出来ないことができる人しかすごいなぁとは思わなかったから。
あとは、自分の変化を書けるようになったのも変わったなぁと思います。今までどういうわけか自分の変化を否定して認めていなかった。こんなの変化じゃない。私が求めているのはもっと大きな変化だからって。その感情は消えたように思います。これもブログのおかげだと思います![]()