瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

下差しこちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。

http://www.radiokishiwada.jp/simul/

 

 

-------------------

 

 

 

お金を払うときのお話の続きです。

 

 

 

先生:「お寿司とシュークリームを買える私ってカッコイイって思うの。500円くらいなのよ。飲みたいお茶も自分のために買える。メモも買ったの。メモを買っただけじゃなく必要な事をそのメモにかけるの。だからすごいカッコイイって自分で思うの爆  笑いつも本気褒め。マジ褒めをするの。私最高音譜って思うの。

 

別に人の結果を横取りして自分の結果にするとかそういう事で承認欲求を高める訳ではなくて、自分が日常でできている事を褒めるの。昨日話した彼女にも散々言ったけどね。朝起きて顔を洗うとか歯を磨いたり朝食を作ったりとかなんでもいい。洗濯物を干すでもなんでもいい。日常やっている全ての行為がどれほどの訓練の結果でできるようになったのかっていう事なの。

 

本当に子供の頃靴紐結ぶのも難しくなかった?あれだって何度も何度も訓練した結果できるようになったし、生まれた時は全てができなかったものなの。それを自己鍛錬でできるようになったのよ。それを今もなお一度身につけた能力を練習する必要もなくできる。だってよそ見しながら靴紐結べるでしょ?

 

必死になって一つ得た能力とそれしながら次の能力を同時進行でいろんな事ができるようになっているの。人の話を聞きなら文字を書くこともできるのよ。昔はできなかったんだから。それがどんどん追加されて今はどんどんいろんな事が同時にできるようになっているの。奇跡の連続が起きているなって思うの。それを褒めないの?って昨日彼女に言ったの。

 

”私字を書けてる。すごい!新聞読めてる。すごい!昔できなかったはずなのに今はできている。すごい!”って思わないの?って聞いたら最初は意味が分からなかったみたいだったね。『今できている事を当たり前とかすごいと思うかはあなたの課題だからいいけれども、今できている事は残念ながら一つずつ今度は人生から取り上げられていく。一人で歩くことすらできなくなる。一人で食事を飲み込むこともできなくなる。一人で寝返りをうつこともできなくなる。今まで積み上げてきた能力を一つずつ取り上げられていく。

 

つまり、今までできた能力をすこしづつ返上していく。最後には命も返上する。全てにおいて期間限定の能力を最大限に使わせてもらっている。その事を当たり前だと思ってそれを見る事なく見えない状態で、何か私を認めれる何かがないかなって何かを人生のオプションで足さないと認められないってどういう事なの?』って言ったのよ。」

 

 

年美さん:「そうですよね。」

 

 

今日は区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

 

去年くらいまでの私は、常に当たり前だと思ってしまう。できた事に感謝することはない。靴紐を結べるのはこの年だったら当たり前。健常者であればできない方がおかしいと思っていた。なので、できない人を見ると「そんな事もできないの?できるのは当たり前でしょむかっ」と怒鳴っていた。

 

先生のようにできた事を褒めればいいという人が現れると奇人変人だと思っていた。いや、もっと憎しみのような感情を抱いていたように思う。なんでこんなに憎しみの感情が生まれるのか不思議に思っていたくらいだった。でも、今日のラジオの話を聞いてすんなり今後は自分を褒めれると思う。全てが期間限定の能力という言葉が私にはなかった。確かに頭では老いていくとどんどん出来なくなる事が増えていく事は知っていたが、期間限定という言葉で腹落ちした。期間限定なら期間内に褒めないと勿体無いグッ

 

話は変わるが、私のようにこんな事は当たり前とか、自分が出来るのに出来ない人を見てそんな事も出来ないのか?と思う人のことをプライドが高いというらしい。先月先生に教えていただいた。大変驚いた。私はプライドがないと思っていたし、私が思うプライドがある女性というのは細身で髪ストレートでスーツを着ていてハイヒールで表参道を猛スピードで闊歩している女性をイメージしていたからだ。

 

こんな自分が嫌いで自信がなく足が大根足でハイヒールが履けず、人ごみに行くと人に酔ってしまう私はプライドが高い人だったようだ。こんなにもプライドの意味を履き違えていたなんて驚いた。

 

皆さんも自分が気づかないだけでプライドが高かったりしませんか?