私はよく比較をします。比較をして落ち込むタイプです。もしくは相手より自分が優っていると思うと相手の愚痴を言うタイプです。比較をして落ち込む事は悪い事だという認識はあるけれど、愚痴を言う事は悪い事だとは思っていないかった。だって事実なんだからしょうがないでしょって思っていた。

 

しかし、転職して試用期間の3ヶ月間が終わり今月から正社員雇用となり、今までの自分の考え方がいかに愚かだったかというのがよくわかる。そして今までどれだけ環境に恵まれていたのかという事にも気づく事ができた。そしてこうも思う。もし瀧本先生から仏教を東洋思想を学んでいなかったらどうなっていたんだろうと。きっと今の職場が働きづらいと愚痴をこぼし、自分の行いを棚に上げ相手を悪く言っているに違いない。

 

ただ、その方が気持ち的には楽だ。ただ愚痴を言っていればいいから。例えば、いま職場に私にそっくりな男性がいる。その人は自分の正義感を前面に出している。その正義感は彼の過去の経験から言っている。IT業界は日進月歩。過去の経験が命取りになる事がある。昨日できなかった事が今日できるようになっている事がよくあるからだ。その逆もある。昨日できていた事ができなくなる事もある。

 

私の話し方に問題があるのだろうが、彼は私の話に耳を貸さない。その気持ちもわかる。私は当たり前のことを彼に質問をしているからだ。彼の中では”そんな事は調べればわかるだろう”もしくは”そんなこと聞かなくてもわかるだろう”と思っているに違いない。

ただ、その当たり前のことを聞くかないと全てがおかしくなる。なぜなら、同じ商品であっても環境や使い方が違うと全く違う商品となるから。そして彼は私より知識がある事が大事なんだろう『森さんがこんな簡単なことを聞いてます』のような事を言いふらす。

 

以前の私ならきっと反論していただろう。私が行う行動に対して説明をして相手を納得させていたと思うが、今はそんな事よりも以前の見ているようで本当に心が痛い。私は今までこんな事を人にしていたのかと。自分が理解できる質問以外は許容せず、自分が理解できない質問をする人を蔑み馬鹿にして笑っていたなぁと。悪気はなかったとはいえ何て事をしていたんだと思う。今までにない感覚だ。あまりに初めての事で対応の仕方がよくわからない。

 

瀧本先生が先月のお話会で仰っていた言葉を思い出した。ある女性が「さっきあのように言わずにこう言えば良かったと思う事があるんです。こんな気持ちにならないようになるにはどうしたらいいですか?」と先生に質問されていた。要約すると質問内容は反省をしないようになるにはどうしたらいいかという質問だった。

 

先生はキッパリと「それはない。」と力強く答えられた。お話会の会場はザワついた。その質問された女性は「な、ないんですかポーン」と叫んでいた。そのザワついた会場で一人私は落ち着いていた。なぜなら”私、後悔した事なんてあったっけ?言わなきゃ良かったとか、人を傷つけてしまったとか考えた事あったっけ?”って過去の自分の行いを振り返っていたから。そもそも自分の行いについて振り返った事がないので思い当たらなかったので、一人だけボケーっとしていた。

 

先生は続けて「人は成長している。だからもっとこうすれば良かったと思う。もっとこうすれば良かったと思えるというのは成長した証だから喜ぶべき事なの。もし、そう思いたくないのであれば成長しない事。勉強しないことね。」と仰った。

 

私は驚いた。なぜなら私は成長していないということになるからだ。また、私はまた遅れを取っている。一体何年先生から学んでいるんだろう。成長していないと反省すらできないとお話会の時はそう思っていた。しかし自宅に帰り冷静になると職場でいま悪因の因果を受け取っている。自分が正しい、仕事ができると勘違いしていた私が行っていた言動を振り返ると今は違うとよくわかるし、人を責めても意味がない事も今ならよくわかる。すごく心が成長できる職場に就職したなと思う。

 

昔の自分の行いを気づかせてくれる職場に就職できた事は喜ばしいが仕事を続けるかどうかは話は別。これは逃げてるだけなのかなぁ?心は辞めたいと言っているが続けていったら何かが変わるのか?違うかもしれないが、鬱になる人はきっとこういう感情がずっと続いてなるんだろうなぁと他人事のように考えてしまう。

 

勉強をする前だったら、数ヶ月で仕事を辞める事を考えるなんて社会人失格とか、次に転職できないから3年は我慢しなきゃとか色々考えて心に無理して働いていたと思うが、今は投げやりではなくて本当にどうにかなると思っていて、どうにかならなかったらそれは自分の行いのせいだと思っているから、ある意味腹が座っているような気がするが、本当のところはどうなんだろう?ただの強がりなのか?

 

自分が何を考えているのかよくわからない。でも、何が起きても受け入れよう。きっといいブログが書けるような気がしますチョキ