瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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http://www.radiokishiwada.jp/simul/
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お寺は何をする所なんでしょう。。。
先生:「お寺というのは何をする所なのかというと沢山のお塔婆が上がっている。間も無く自分もお塔婆の中に自分の名前が書かれる立場になっていく。いづれ自分はあちら側になる。今は亡くなった方達の名前をざっと見ているけれども、自分も向こうに行く。
そして、由縁のある方がお寺に来るかもしれない。
それは何をしているかというと、いづれ自分の肉体が朽ちてあちら側になる事実を目の前に見ている。そして、その日がいつかわからない。それでもここにちゃんと来れたという事に関する感謝があり明日という保証がないという感覚を今一度明らかにして、今しっかり今日やらないといけない事は今日中にやろう。
悪いことしたなと思っている人がいたら、いますぐその人に連絡をして『申し訳なかった』と言う。なぜなら自分はいつかお塔婆の中に名前が書かれる立場になるから。それがいつかわからないからという命の儚さとか命の期限がいつかわからないけれども、今生きているという感謝との融合を実感する場所として大法要は営まれているの。
だから、『死んだお父さん僕を守ってください。どうか商売上手いこといきますように
』とか、何やっているの
っていう話なのよ。」
全員:「なるほど。。。」
先生:「そうではなくて命の神秘。ずっと連鎖連鎖で繋がった自分の命が今ここにいて、ご先祖様のお塔婆をあげているのであればあの方々のお陰様であるという事を考えて、いづれ自分もいつか名前が書かれていくという命の儚さを今一度噛み締めて今やるべき事をしっかりとやるという決意表明の場所がお寺なんですよって言ったら、『え
』って固まったの。
『では先生、お賽銭箱にお金を入れて手を合わせる事はあまり意味ないんですか?』って聞かれたの。『お賽銭は意味あるよ
』って言ったのよ。」
年美さん:「いっぱい入れたら意味あるよ
」
先生:「沢山入れて。カランカランと音を立てて入らないほうがい。ワシャワシャの方がいいってちゃんと言ったの
それはお賽銭箱のお金というのは、そのお金でお灯明とか御宝前のお花とか献花しているお花とかをあそこから買うの。そして、またみんなが手を合わせてくださるというように、あそこで1つ循環がおきているからね。だから、たくさんお賽銭箱にお金を入れていいの。
これが神社とお寺の違いなんだけれども、神社もお寺も共通するところが感謝をする場所というところ。確かに神社には神様がいらっしゃる。神様というのは人間の形をした神様ではなくて大自然の生命体。しかも何千年も生きているもの達がそこにいる。そのエネルギーはすごいと思うからね。
そのエネルギーにあやかってそこに行くんだけれども、自分が与えさせていただくという布施業を行うために御神木というのはあるのですよ。」
全員:「す、すごい
布施業のためにある
」
先生:「そいういう事ですよ。布施業のためです。」
今日は時間がないのでこの辺で![]()
子供の頃から神社は好きだけどお寺は怖かった。お墓やお塔婆を見るとあまりいい気分にはならなかった。私の中では神社は身近にありお寺は遠い存在だった。墓参りも夏は暑いので”早く終わらないかなぁ”と思いながらダラけた態度で参加していた。
先生のお寺のお話を伺ってビックリした。決意表明の場所なんて思ったこともなければ頭をかすったことも無い。命の儚さなんて感じたことがない
こりゃぁご利益なくてもしょうがないとメチャクチャ納得できた。
そして、お寺というと私が連想するのが肝試し。日本のホラー番組を見すぎているからかわからないが、お寺で肝試しをするとその後悪いことが起きるらしいが、それも決意表明する場所で肝試ししてたらそりゃそうなるよね。と思った。本来決意表明する場所が肝試しの場所と変化してしまうのだから、なんて愚かなんだろうと思ってしまった朝でした![]()