瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。
http://www.radiokishiwada.jp/simul/
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今日はご相談からスタートです。
先生:「早速ご相談を読んでいきたいと思います。」
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先生、初めまして。
ずっと先生のラジオとブログで勉強をしています。
先生の考え方や生き方に憧れ北海道に住んでいるのですがいつか絶対に会いに行こうと思っています。
私は今年で55歳。2年前に自分から望んだ離婚をする事ができました。30年勤続をしている仕事と相続できた自分の家があるのでやっと離婚できた私は羽を伸ばして生きていこうと思っていたのですが、根本的な自分が嫌いという問題が乗り越えられず幸せを感じられません。
全く別の人生を歩みたいと思い離婚をしたのに自分が嫌いであるため楽しさが欠乏した毎日なのです。昔から場の空気が読めない人とよく言われていた事がコンプレックスとなり過剰なほど空気感を気にするため他人と親しくなる事が苦手な自分が大嫌いです。
同年代の先生の明るい生き方に近づきたいと思い、思い切ってメール致しました。
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先生:「離婚をして羽を伸ばそうとしたら実は自分に羽がなかったというご相談ね。」
年美さん:「残念。せっかく一人になったのに。。。」
規子さん:「離婚したら変われると思ったんですよね。」
先生:「そうよね。そう思うよね。自分から望んで離婚している。家も相続して旦那を追い出し30年勤続の仕事がある。だから食べていける。これからは私の人生だ
と思ったら羽がなかった。」
年美さん:「今自分が嫌いって気づいたんですかね?」
先生:「元々嫌いだったんだろうね。昔から場の空気が読めないっていうのがコンプレックスって書いてあるものね。」
規子さん:「環境が変わったら変われると思われたんですよね。」
先生:「この方のご相談なんだけどこのようなご相談のケースがすごく多い。このようなというのは何をもってこのようなと言っているかというと、自分が嫌いだから違う人生を歩みたい。でも空気が読めないと言われたというコンプレックスがあるというように不幸のシステム化というのがあってこれだからこうなってだから不幸です、という不幸の条件がみんな好きなのよ。」
年美さん:「お
」
先生:「みんな幸せの条件も好きなんだけど、これがこうなったら不幸というのも好き。可愛がっていたペットが死んだら不幸。究極の悲しみというのは確かにあるかもしれないけど、自分の身において起きている事においてこうなったら不幸という不幸のシステム化が強烈に働く人がいて、この方の場合は空気が読めないというコンプレックスがあるから嫌い。だから別の人生を歩みたいというご相談。
このご相談、意識せずに聞くと全部繋がりがあるように感じるでしょ?この自分が嫌いという事と、違う人生を歩みたいという事と、空気が読めないというのは3つの問題であって、これは分けて考えなきゃいけないの。どれかをいじると全部が治るとか連動性があると思っているかもしれないけど、これは全て違うカテゴリーの話だという事なの。」
今日は時間がないのでこの辺で![]()
なんてわかりやすい言葉なんでしょう。不幸のシステム化。心にヒットするネーミング♫私にピッタリ![]()
先生のお話でよく出てくる幸せのシステム化のお話より私の心にドンピシャ。
以前は、私もこの方と同じで空気が読めないし会社では浮いてるし、家族とは絶縁になるし、だから幸せになれないと思っていたので、違うカテゴリーの話だなんてわかりませんでした。その時も先生に色々言われましたけど別カテゴリじゃないですよね。一緒なんですよ。
私の場合の不幸のシステム化は、幼少期両親から愛情を注がれなかった→両親を嫌いになった→自分が嫌い→他人も嫌い→友達がいない→人との距離がわからない→職場での人との距離もわからない、、、
昔の私はこの一連の流れを別と考えずに、この不幸のフローのスタートにいる両親との記憶や根本的に両親を変えて両親から愛されなくてはいけないと思っていた。私の両親は今現在も健在なのだが、当時の私は両親が死んでいてくれたら色々自分好みに空想できるのに生きているからそれすらできないと健在である両親を憎んでいた。きっと私のことだから死んでいたとしても、死んでいるからもう愛されないと言って恨んでいるので結論的にどちらも一緒。
それが今では影響を受けなくなっているのが不思議だ。自然と頭の中で不幸のフローを区切れるようにはなってきている。
不幸のシステム化。なんて素敵なネーミング♫苦しんでいた私に言ったら、この一言でスッキリするだろうなぁと思ったところで今日は終わります![]()