瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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仏教は理性のお話の続きからです。
先生:「仏教を学ぶと論理的に考えられるようになる。私を通して年美ちゃんが仏教を勉強してきた。でも、私は直接年美ちゃんにこういう事が理性ですよというのを一言も伝えた事がない。」
年美さん:「はい。聞いた事がありません
」
先生:「でしょ?なのに年美ちゃんが理性的に物事を考えられるっておかしくない?私は道徳を伝えてきた。これが道徳だよっていう言い方をした事がある。こういう捉え方が理性的なんだよというような言葉は、年美ちゃんのノートからは1行も出てこない。なのになぜ理性的に年美ちゃんが物事を捉えるようになったんでしょう?不思議じゃない?」
年美さん:「不思議ですね
」
先生:「パン作りしたら算数ができるようになっちゃった感じ。それはおかしいでしょ?実は感情と理性は相反していて、残念ながら勉強をしていない人は感情でモノを言うの。なぜなら感情を司っている脳は原始脳。これは我々が猿の時代から命の連鎖で引き継がれたモノだけれども、昔からあった脳が原始脳というの。それは感情を司るわけ。
でも、理性というのは別にある。でもそれを教育されてなかったわけ。仏教を勉強するとそこの脳が活性化が行われるから理性的に物事が見えるようになるの。」
年美さん:「![]()
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」
先生:「だから、講演会で今日は理性の勉強をしますなんて言った事がない。」
規子さん:「ないですね。」
先生:「こういう事をやっていったら性格が向上しますよ。こういう事をしたらさらに正しい中道から物事が見えるようになりますよ。こういう事を実践しましょうとか実践項目をみんなに伝えてきた。例えば、人が見ていないところでもゴミを拾うと陰徳。つまり誰も褒めてくれないとわかってるところで良い事をするという事が自己承認欲の達成になっていって自己肯定感が高まるとか、自己肯定感が高まるとどうなるかというと、自分に対して自信が持ててくるからちょっとの事でイライラしない。
自信がある人は小さなことはどうでもいいって思うからね。心が小さい時は小さな事は大きなことに見えるからね。だからゴミ1つ拾うと自己肯定感が高まって自分に対して承認欲の達成が行われて自信が持ててくる。するとちょっとしたこと、例えば服を汚されたりとかしても『いいよ
』と言えちゃうわけ。でも、心が小さいと『どうしてくれるのよ
弁償して
』って、ハンカチ一枚でもなる。本当にそういうおばちゃんいるからね。
心の大きい人は『綺麗なハンカチは汚れが目立つね。諸行無常よね
』って言えちゃう。理性でモノを見ているわけよね?たまたまここにあるハンカチと醤油が縁があって出会ってしまっただけ。因縁果の法則で出会って諸行無常の掟通りにハンカチが汚れた。だから次からはここでハンカチを広げる事はやめるようにしようかな?とか、いろんな学びがある。
つまりその場がいろんな学びの場になる。これが理性的にモノを見ている場合。でも感情で物事を見ちゃうと『白いハンカチが汚れたじゃない
』ってなっちゃうの。」
今日は時間がないのでこの辺で![]()
今まで感情的に物事を話していましたね。というか今もそうですね。私の場合は皆さんと違って、イラっとくるスピードとそれを表に出すスピードが速いから困るんですよね。一拍置く事ができない。よく皆さんは”ここで怒ったらダメだ”とか考えられるなぁと思って。だからわたしは人よりも原始脳が発達しているんでしょうね。困りました![]()
でも、そんな私も今までイライラしていた事もこの頃はイライラしなくなりました。それこそ物が壊れても、そりゃ壊れるよなぁとか、人に対しては相手の意見が変わっても、そりゃぁ変わる事もあるよね。とか今までなら怒鳴っていたのに気にならなくってきているのは奇跡ですね。(仏教には奇跡という言葉ありませんが。。。)
よく昔から『そんなにイライラしていて疲れない?』とよく聞かれていて、いつも『怒りを我慢している方が辛いし疲れる』と回答してましたが、今は確かにイライラしていると疲れるだけじゃなくて仕事の効率も悪いなぁと今振り返れば思います。当時はわかりませんでしたけどね。怒りを抑える方が私には大変だったので。
今の職場では一度も怒っていないのがこれまた奇跡ですね。仏教はすごいなぁと改めて思います。では仕事に行ってきます![]()