瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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瞑想で体の痛みを取るお話の続きからです。
ポンさん:「例えば肩こりがひどい時はストレスなんですか?」
先生:「そう。99.9999999......%で全部そう。」
規子さん:「ギックリ腰で急に痛みがくるのはここぞっていう時ですね。」
先生:「そう。だから小さなストレスを溜めるというのは必ずどこかが痛くなってくる。だから心をちゃんと見てどんな小さなストレスもひっくり返す。」
規子さん:「体だけちゃなくて自分が見ているものも全てということですよね?」
先生:「もちろん。もちろん。そう言うこと。聞く言葉も。全部ストレスになる。全部自分の中に入ってくるからね。それが必ずどこからか出ようとした時に症状として痛みとしてでる。それが一点で出る時は蕁麻疹になる。」
全員:「なるほど
」
先生:「もちろんこれは東洋医学の話。だから東洋医学というのはそういう根本を見つけてそれを治療する。ヒーリングだったりね。そうすると段々治癒力でそれが取れていく。けれども西洋医学ももちろん大事。肉がベロンとめくれているような怪我をした時にどんだけヒーリングしてもどうしようもないからね。瞑想している場合じゃない。そんなことしてたら死んでしまうからね
」
全員:「![]()
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」
先生:「体の痛みを止めることがこの瞑想の狙いではない。思考って本当にこういう事が出来るんだっていう事をリアリティを持って体感して気づいてもらうための準備運動なの。その次の段階があってそっちを実践してもらうための手前として、本当に自分の思考によって昨日まで痛くてたまらなかったのがこんなに簡単に止まる。本当にすごい。これは本当だ!というその確信を作ってもらうための瞑想なの。その後にやりたい事があるの。本当の目的はそっち。それは何かはヒミツ
」
全員:「それが聞きたい。。。」
年美さん:「瞑想の効果は信じている思いがないとダメなんですか?これは本当だという信じる心がないと痛みが取れなかったりとかあるんですか?最初疑いの心から入るとそうならないですか?どこかで疑う心ってあるじゃないですか。」
先生:「例えば痛みを取る瞑想はみんな疑わないと思う。なぜかというと理論をちゃんと喋るから。」
年美さん:「そうですね。」
先生:「しっかりと理論を話すし、科学の授業でも発表できることをちゃんと話すから『じゃぁ、今からやってみよう
』ってなる。痛みがもし止まらなかったら、自分の思考の持っていきかたが違うと思ってもらえるほどキッチリ理論を話すから、その上で瞑想をやってもらったら”自分の思考はこんな事が出来るんだ
”って自分の思考を信じる。
もしも瞑想を怪しいと思うなら、みんな自分の思考を信じていないだけの話。私はそっちの方が怪しいと思う。よくそんな状態で生きてるなぁって思う![]()
私を信じてと言っているのではなくて、あなたの思考がなせる技をあなたが信じていますか?っていう事。」
ポンさん:「実践ですよね。自分の体感とういうか自分で感じないとですよね。」
先生:「そう。私ってこんな事が出来るんだって。思考するって、集中するってこんな事をやってくれるんだっていうそれを信じる。そこを信じてって思う。」
区切りがいいのでこの辺で![]()
私は個人的にはダイエットが簡単にできる瞑想をしてほしい。今日先生とお会いするのでリクエストだけしてみようかしら。。。
瞑想が怪しいという人は多いというか、あまり瞑想の話をしてはいけないような風潮があるような気がする。私の周りの否定形のかたは瞑想=オウム真理教のイメージが強いのかもしれない。だが面白いことに否定される方は大抵が従業員側の方で、経営者や個人経営の方は瞑想の理解がある。いつもこの両者に流れる隔たりはなんなんだろう?と20代の頃から思っているがいまだに謎だ。
瞑想をする前に部屋を掃除しないと。拭き掃除がめんどくさくて。。。棚に飾っているものを一つ一つどかして拭いているという。部屋の汚れは心の汚れと仰っていた。試しに自分の部屋の電球を吹いてみた。真っ黒だった。よくみたらホコリだけじゃなくカビもあった。
私の心はカビが生えていた。。。真っ黒な雑巾を見ながらリアルだなと思いました![]()