自己啓発セミナーに何度か行き、そのセミナーの上級コースになるとそんなような事を言われる。多分こう言われて2パターンの思考に分かれるのではないかと思う。1つは憧れている人と繋がっているんだ。嬉しい
と喜びに感じる人。2つ目は、憎んでいる奴と繋がっているなんて信じられない。自分が汚染されてしまう
など、信じられないと思う人。私はもちろん後者の方。
自分が憧れている人と繋がっているのだからもう大丈夫とか、ポジティブというか自分に都合のいいように解釈することが出来ない。どちらかというと、世間から問題視されているような人、犯罪者と自分が繋がっていて自分がそっちに引っ張られるんじゃないかと気が気じゃなかった。
大阪の先生のオフィスに行った時に偶然そのような話になった。どなたかがこんな質問を先生にされた。
「私たちが根底で繋がっているのなら、その人の悪行も私の悪業になってしまうということだから、だからせめて私の周りにいる人は悪業をしてほしくないと思ってしまう。だから他人に対して色々要求しまう」要約するとこのようなお話だったと思う。
その方のお話を伺いなら、心の中で”そうそう。私もそう思う。”と頷きながら話を聞いていた。
すると瀧本先生は、少し軽く首を傾けながら驚く事を仰った。
「その人の悪業が自分にやってくるという考え方ではなくて、その人の悪業が1つでも減るように自分が善業をしようという考え方かな?」と。
お話を伺ってビックリした。今までこういう考え方をセミナー講師からも聞いたことがなかったから。私も同じような質問を何度かした事があるが、講師はいつも困ったような顔をするか話をそらすかのどちらかだった。
自分がその人の悪業が減るような行いをする
考え方の矢印が真逆。私は今まで相手(何か不吉なもの)が自分に襲ってくると思っていた。でも先生は自分が相手にいい影響を与えるという考え方。目から鱗だった。さらに先生はこう付け足された。
「ゴミを1つ拾う時に”どなたかの悪業が減りますように”と思いながらゴミを拾っている」と。
それを聞いても驚いた。そんな考え方をした事がない。私はゴミを拾う時に”毎日ゴミ1つは拾っているから、続けたらきっと自分が成長するんだろうなぁ
”とか、”このゴミがお金だったらなぁ
”とか邪神の塊で拾っていた。
自分の事を恥じる以前に、そんな言葉がこの世に存在していたという事に驚いた。そして、これを書きながらビックリするのが、先生のお話を伺って目から鱗だったのにも関わらず、一回も先生がお話されていたような気持ちでゴミを拾った事がないという事実。衝撃だ。自分の利益のみで他人の事を全く考えられない。こんなにも本当は自分の事を大事に思っているんだなぁと、そしてまだ自分が自分にかける愛情が足りないんだなぁと気づく。
お話会の後は先生とお食事をしたり雑談ができる時間がある。私はその時間がとても好きで今回のような金言が聞ける事がよくあるから。何気ない先生のお話がたくさんあるので随時UPしていきたいと思います![]()