社会人になってからよく言われる言葉。上司からもそうだし同僚からもよく言われる。すごく不思議だった。ちゃんと適度に頷いているし目を見ながら相手の話を聞いている。わからない事があれば質問もしている。私は自分で人の話をきちんと聞いている方だと思っていた。

 

だから、私に「人の話を聞かないし思い込みが激しいね。」と言ってくる人は、私の聞き方が悪いわけではなくその人の説明の仕方や話し方が理論的でなくわかりにくいから悪いんだと思っていた。

 

 

そして、そう思い込むだけの私なりの証拠もたくさんある。私は人から「頭がいい」と表現されることがあるからだ。面白いことに、普段頭がいいと言われると虫唾が走るほど毛嫌いし相手を威嚇する私だが、こういう都合のいい時に思い出し、都合のいいように解釈する。(ちなみに威嚇していたのは去年までの私です)

 

 

 

私が頭がいいと人から言われるのは、相手の話を理解し適切は返答ができているから

 

 

 

と先月(2019/7)まで思っていた。

 

 

 

ところが、先月瀧本先生の真解学という授業中にお話しされた言葉を聞いて衝撃が走ることになる。

 

 

 

「全く聞く耳を持っていない人にアドバイスしても(仏説を説いても)今後のその人の人生邪魔になる場合がある。どこかでその人が同じ事を誰かに聞いた時に『あ、それこの間聞いたから違うこと話して』って、人の話をはじいてしまう。」

 

 

 

前後の文脈があるので分かりにくいかもしれないが私には目からウロコの言葉だった。なぜなら私は『あ、それこの間聞いたから違うこと話して』と何度も行ってきたからだ。特にこの言葉を言ったのはセミナー受講時だ。しかも相手が話し始めたらそれを遮るように言っていた。確かに私以外の人はこういう言葉は使わず、まず相手の話を最後まで聞いてからゆっくりと説明していたように思う。

 

 

 

人の話を聞かないってこういう事を言うんだなぁと腑に落ちた瞬間だった。確かに人の意見もはじくし思い込みも激しいなぁと思う。本当に問題児だったんだなぁと過去を振り返ってそう思う。

 

 

この真解学という学問を勉強して面白いなぁと思うのが、先生が「こういう考え方をする人は生きていくのが苦しいだろうね」と仰る時があるのだが100%私の事だから。例えばお金があれば幸せだと思っている人はすぐに不幸になるよね。だって十分なお金がなければ不幸なんだからとかだ。私の場合は、両親から愛されなければ幸せになれないし。そして子供は両親を無条件に愛さなければならないというような、ルールをいつ作ったのかわからないがそのルールに苦しんでいた。

 

お盆の季節の今なんて昔は本当に嫌だった。なぜなら親戚付き合いの薄い私としては、先祖のお墓がどこにあるのかがわからない。父の実家は磯子なのでまだ行こうと思えば行けるが、母方の実家は茨城の奥地だし駅から20キロ離れている。車の運転ができない私はそこに行くには海外旅行に行くよりも難しい。

 

どのセミナーに行っても大体は家族を大切に、先祖や両親を大切にと言われてしまう。そもそも何をしたら大切に思っている事になるのかがわからない。私にはとても曖昧な表現に思えた。

 

でも、瀧本先生の仰ることは違かった。先祖を両親を大切にするという事は自分を幸せにする事。自分で自分を楽しませる事。救われたと思った。両親の事は関係なく私は私の力で幸せになれるんだと。そして、それと同時にとても怖くもあった。なぜなら自分に都合の悪い事、例えば貯金ができないなどは全部両親がお金遣いが荒くてそれが私に遺伝したと思っていたので、両親が悪いと思っていたのだが、両親が悪いのではなくただ単に私がお金について無知なだけだからだ。

 

そう。自分の無知さを親のせいにしていた。それが出来なくなったのは正直窮屈さがある。だが、怒りや不安から解放された方が大きい。3年間毎月学び続けてよかったなぁとしみじみ思う真夏の今日でした。