瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

下差しこちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。

http://www.radiokishiwada.jp/simul/

 

 

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今週と来週のラジオに参加させていただいています。

 

 

 

先生:「たくさんリスナーの方から短い質問がたくさん来ていたので、それを5つほど集めてきました。まず一つは正しく生きるためにこれを意識するという言葉をくださいというご質問です。この方はいろんな人とぶつかっちゃったりして、後から自分が後悔する。なんでいつもすぐに間違った心の使い方をしちゃうのかな?って、常に正しく生きるために意識をしたらいいなという言葉があるならそれをくださいという事でした。どう思う?」

 

 

 

年美さん:「何がいいかなぁと今考えていました。。。」

 

 

 

先生:「難しいよね?」

 

 

年美さん:「仏教を学んでいたら正しく生きることってたくさん教えてもらえるんですね。その中で何を1つ選ぶかということで悩みます。たくさんある中の1つ伝えるとしたらなんなのか。自分が嫌な気持ちになると気付かれているのであれば、すぐにその場で謝ってみては?と思いますし、気づいたならちゃんと伝えるという事をしてみては?と思います。謝るという事を行動するのも正しく心を使って歩いていく1つなのかなと思います。」

 

 

先生:「素晴らしい!それも1つ。10年勉強してくれている年美ちゃんみたいな先輩が言う言葉は基本的に正しいと思ってみんな受けるべきなのよね。10年勉強している人はそうそう間違えない。この質問を私が選んだ理由はこれと同じ事を質問しているお釈迦様にしている方がいらっしゃったの。

 

なかなかお釈迦様のお話を聞きに来ることができないから、遠い旅をしてやっとお釈迦様に会えたファンの人が『自分はこれから祖国に帰らなければならない。あなたの話をしょっちゅう聞くことができない。だから今日いつもよりも正せた心を祖国に帰ってもまた間違えない様に正しく生き続けるには何を意識したらいいでしょうか?』というような質問があったの。それをお釈迦様が説法の時にその人の質問を取り上げてこういう風に物事を捉えなさいという言葉を思い出したのでこれを選んだの。

 

今年美ちゃんが言ってくれた正しく生きるというか間違わないで生きる方法が仏教にはたくさんある。この方の質問がそもそも仏教から外れている質問かな?と思ったのは、正しく生きろという事をお釈迦様は仰っていなくて間違うなと言っているの。正しく生きようと思うと正しくないというものを定義した前提がある。

 

だから、私が正しいというこの概念が一番喧嘩を生んでる。私が年美ちゃんと喋っていて、私が正しいになると自動的に年美ちゃんが間違っていることになるよね?だから、正しさの反対には必ず過ちがある。過ちというものがあるという前提で正しいという言葉を使っているからね。もちろん全員が正しいという概念があればいいんだけどね。なかなかそうもいかないからね。

 

その時にお釈迦様が仰ったのが『正しく生きるというスローガンを人生に立てるのではなくて優しく生きると言葉を入れ替えなさい』と仰ったの。

 

人に優しく生きるっていうのには裏がない。私は正しいとかあなたは正しいになると誰かを否定したりとか、今度はあなたが正しいとなると自分を否定することになる。あなたが正しいと言い続けた人は段々と暗くなるの。自己否定になるから。だから正しいとか正しくないではなくて優しいという人生を歩んで行きなさいと仰ったの。

 

そこで話は終わらないの。では、優しく生きるにはどうしたらいいんですか?というところをお釈迦様が説かれたの。じゃぁ、優しく生きるにはどうしたらいいの?」

 

 

年美さん:「優しく生きる?相手に立場に立つとか相手に寄り添う。相手の意見を受け入れなくても相手の意見に寄り添う事ですかね?自分が同意しなくても『あなたはそうおもんですね?』って寄り添うことが優しいのかなぁ?」

 

 

先生:「エイリアンはどう思う?」

 

 

エイリアン:「私はみなさんと違う事を言うと思うんですが、優しい人というと年美さんが仰ったようないい意味の優しいというのもありますが、悪い意味では自己主張がない人とか都合のいい人のような感じがします。例えば、男性でその人の名前を忘れてかつその人にパッと特徴がない時に、あの優しい人とか言ったりするので私の中では無難に使う言葉なのであまりいい言葉ではないんです。」

 

 

先生:「なんとなくその人の評価をしなきゃいけないけど、めんどくさいから優しい人ですね。というとりあえずの言葉ね?」

 

 

エイリアン:「はい。だから私優しい人っていう言葉にいいイメージがないんです。」

 

 

先生:「面白い!!

 

 

エイリアン:「だから、あの人は優しい人なのよって聞くと、私の中では”自己主張のない人なんだな”って思うんです。相手の意見に流されて自分の意見を言えない人なんだなって思うんです汗

 

 

全員:「へーびっくり

 

 

 

今日は私の話で終わりますバイバイ

 

 

私は優しいと人から言われたことがないのですが、先生と話をしていて優しいという言葉にネガティヴなイメージをしていたら、そりゃぁそもそも優しい人になれないなぁと思います。あとラジオでは言いませんでしたが、優しい人は損する感じもしています。テレビの見過ぎかもしれませんが、詐欺にあったり人から騙されたり、余計な仕事を頼まれたりと優しいからこそ損するようなイメージです。

 

あとは、私の人生で人から厳しくされることにフォーカスする人生だったので、人から優しくされた経験を覚えていないんですよね。優しくされたとしても気付かない。それが優しさだと。不思議なことに過去の両親との出来事を気にしなくなったあたりから、人の優しさに気づけるようになりました。それまでは全く同じ言葉を聞いても聞き流していただけだったのに。。。不思議なことが起きてきました。この変化もいつ書けるといいなぁと思います。