瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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http://www.radiokishiwada.jp/simul/
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先生のダイエット方法の続きからです。
先生:「3キロのダイエットは結構難しいよね?」
全員:「ちょー難しいです。」
先生:「ただ私はダイエットがチョー得意なの
太るのも得意
自由に体を作り変えるのね。年末なんて7キロ太ったからね。」
年美さん:「そうですよね。」
先生:「その後に8キロ落としたからね。」
規子さん:「凄いですよね
」
先生:「これって観念を入れ替えるから簡単なのよ。」
年美さん:「どうやったらいいんでしょう?」
先生:「すごい簡単なの。」
年美さん:「それを私たちは知らないですよね?」
先生:「皆んな知らない。例えば、拒食症と過食症ってあるでしょ?過食症はずっと食べちゃう。食べたら食べた後にそこから拒食症に入れ替わるボーダーラインがあるよね?とにかく食べない。食べても吐く。ちょっと飲んでも吐く。あれは観念が完全に入れ替わっているのよ。」
全員:「なるほど!」
先生:「わかる?痩せている方が美しいという観念に入れ替わったら徹底的にあそこまで出来るのね。」
年美さん:「すごいですね
それだけの力があるって事ですね。」
先生:「だからプロ野球選手の方と話をした時に、毎日よくそれだけ走ってバットを振りますよねって。やっぱりプロはすごいって話をしたの。そうしたら『観念を作ったからなんだ』っていう話を昔した事があったの。『やっぱりそうなんだ』って。その時に観念トークをしたの。
だから、何かをずっと続ける時に観念というものを作成する。またはそれをしようと思っているのに逆の観念が入っている場合は観念の書き換えをする。すると後は自動的にそこに行く。」
年美さん:「すごい
」
先生:「無意識だから。それをついこの間友達と話をしていた時に『昔こんな事言っていたよね?』っていうので思い出したりして”この観念の話をしてあげよう”って。私観念のこと詳しいからって思ったの。」
年美さん:「いろんな引き出しがある。」
先生:「そう。だから観念を入れ替えるという事がすごく簡単なのね。例えば我々が生まれた時、赤ちゃんの時は何一つ観念を持っていない。何一つ持っていなかったらどうなると思う?」
年美さん:「人に動かされるまま?全てを受け入れる?」
規子さん:「自分のやっている事が当たりまえ?」
先生:「観念がないというのがどういう事かというと信じてない事なの。」
年美さん:「![]()
![]()
」
先生:「わかる?こういう人はよくない人とか、声が小さい人は自信がない人とか何かと何かをくっつけてこれはこうであると判断するでしょ?その信じているシステム化の出来上がっている事を観念っていうけど、赤ちゃんは何一つ信じてない。今から変な日本語を言うけど何一つ信じてないから全てを信じている。」
年美さん:「あぁ。。。言葉は逆ですけどね。」
先生:「幸せの条件を持ってないの。こうなったら幸せ。あぁなったら幸せという条件を持っていないということは?」
規子さん:「幸せ
」
先生:「そういう事。そのままで幸せの中にいるから条件がない。だから赤ちゃんは最も完成された生き物といわれるのはそこなの。彼らの無意識の中にも何一つシステム化が入っていなくて、観念がなくて心情がなくて条件がなくてただ幸せが私。私はワンネス。だから全てを信じているのね。
全てを信じているので自分の親が喋っている事、やっぱり親は愚かな事を喋っているわけよ。観念だらけのことを喋っているからすごく不具合。親の会話が大嫌い。
『この子はきっとこうだからこうなるんじゃないか』とかね。そんな事赤ちゃんはちっとも嬉しくなくて”なんか嫌だなぁ”って感じ。彼らは時々宙を見て笑うじゃん?あれはまだそこかだから。
でも、赤ちゃんが昼寝をしている時にお茶の間のテレビでくだらないワイドショーをやっていたりとかでドンドン観念が入れられていく。よく言っていたんだけど、赤ちゃんに限らず寝ている間にテレビをつけっぱなしにして寝ちゃうとかっていう事があると思うんだけど、それだったらとにかく美しいストーリーの映画を流しっぱなしにするとかね。
夜中にディベートしている番組やっているじゃない?あれでも寝ている間に聞いているからね。これはこうだと思う
あれはああだと思う
とか、あの不倫報道は
とか、そういう事を聞かすとやっぱり価値観として入っていくのよ。観念は今でも増えてる。これはこうであるという観念。
自分が何かしようと思った時にその観念が引っかかってくるからね。”それはよくない事だと思う”っていう苛立ちが出てきたりとか観念はろくな事をしない。そして固定されている。固定観念というのはややこしい。それを仏教では自我といったりしている。呼び名はそれぞれの学問であると思うんだけどね。
だから自我を外せという事をお釈迦様は仰っていた。それは何かと何かのドッキングしているものをバラせと。条件をつけなくていい。これとこれが足されたら何になるではなくこれがある。あれがある。以上。だからそのままを見なさいと仰っていたの。固定観念を作るなと。だったら固定観念を活用したらいいじゃないって思ったの。」
今日は区切りがいいのでこの辺で![]()
何一つ信じていないから全てを信じている。。。わかったようでわからない。。。私はかなり疑り深い。という事は信じているという事なのだろうか?ダメだ意味がわからない。ただ赤ちゃんは幸せの中にいるというのはなんとなくわかるというかそうであって欲しいと思う。
赤ちゃんが突然泣き出したり泣きやまない時があるが、そういう時はきっと大人たちの観念だらけの会話が居心地が悪くて泣いているんだなぁと思う。電車の中で泣きやまない子もそうかもしれない。今度電車の中で泣いている赤ちゃんがいたら見る目が変わる気がする。
自分の固定観念はあまりないと思っていたが、先生とお話をしたりラジオを毎日聴けば聴くほど自分がいかに鎖に巻かれていて身動きが取れなくなっているかがよくわかる。今までは自分は人の目なんて気にしない人だと思っていたが人から失敗したと思われるのを極端に恐れているという事にも気づいた。よくこんな怯えた心情で仕事をしてきたなぁと思う。そんな不安な気持ちで仕事をしているから不安で怯えて苛立っている。私はこれを単なる短気だと思っていた。怒りやすい性格だと思っていた。でも実際は怒っているのではなく不安で怯えているのを怒りに変換して表現しているだけだった。つまりは怒りではなく不安だった。
だから、不安そうに怯えている男性を見ると平手打ちをするという暴君へと変化する。今の所パワハラで訴えられていないがこれは時間の問題だ。このことに関しては原因がわかったので対処できると思う。固定観念の書き換え。早く知りたいと思う今朝でした。