瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。
http://www.radiokishiwada.jp/simul/
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心を丁寧にするお話の続きからです。
先生:「ペンを持つ時に両手で持ってからペンを持ってみて。」
年美さん:「絶対こんなことしない!」
先生:「上品
両手で持ってから右手に持ち替える。」
年美さん:「意識してしかしないですね。なんか自分が丁寧にしているなってわかります。」
先生:「急に良い子になったみたいでしょ?」
恭子さん:「心も違います。」
先生:「ラジオを聞かれている皆さん。目の前にある物で普段両手で持つものなら意味がないの。普段片手でパッと取ってカバンに入れるもの。目の前にペンがあったら両手で持ち上げて字を書くところのポジションまでちゃんと右手に持たせてあげる。そういう事をちゃんとやってみてください。
そこに携帯電話があったなら携帯電話を両手で持ち上げてみる。携帯電話って方でだからね。それを両手で持ってみるとか両手で戻してあげるとか、目の前にもしもハンカチがあったら両手で取るとかをやってもらうと、心が急に良い子になる。」
年美さん:「こんな心を持っていたんだと思います。」
先生:「これも今自分が自分でできることをやったわけです。これもピュアな心。こういうことさえもピュアな心。」
年美さん:「できる事っていっぱいありますね。」
先生:「いっぱいあるけどただ気づいてないだけ。」
恭子さん:「気づいてないです。」
先生:「こういう事なんだって。つまり少し丁寧にすると人生が変わってくるってこういう事なんだっていう、この深い深い気づきを足を痛めてわかったの。」
恭子さん:「すごい
」
先生:「あんなに丁寧に歩いたの多分伝え歩きしていた頃以来
」
年美さん:「かなり昔ですね
」
先生:「多分あの時の第二弾かな?今すごく慎重に歩いているから。ちゃんと足元見て丁寧に丁寧に歩いてるから。今まで無意識で歩いていたでしょ。事実思ったよ歩いていた時に。やっぱりこれだけ薬を飲んでいても痛いわけ。”痛い、痛い”って歩くからやっぱり痛い。左の足の時は痛くない。右足の時に痛みがくるから松葉杖にどの辺まで体重を支えたら楽なのかなぁとか、一歩づつそれをやっていたら、すごいヴィパッサナー瞑想だったの。」
全員:「そうですね!なるほど!」
先生:「ずっとヴィパッサナー瞑想だったの。全く意識が他所に行かない。足の裏に全部意識がいって”私すごい集中している”ってすごい瞑想しているって思ったの。だからみんな一回足を痛めたら良いのよ。」
全員:「嫌です
」
年美さん:「先生の経験を取り入れます。」
先生:「そうね。どんどん取り入れてください。やっぱり気づきが多いですよ。そう思った。こういう事がお釈迦様が残して下さった言葉で、本当に強制的に実践させられちゃった。強制実践というのがどうやらあるみたい。定期的にわりと大事件を起こすからね。」
全員:「定期的に何かありますよね?」
先生:「足が不自由になることによって歩くという事を丁寧にするという事がよくわかった。だからすごい!物事にはちゃんと次のステージにいけるための学ぶものがやってくる。」
年美さん:「先生歩くの早かったですものね。」
先生:「そうなの。早かったの。今は本当にカタツムリみたい。これが心をもう一度丁寧にした方がいいっていう事。そしてこの事を強制的に学ばされたという事は、次に私に大きなビックチャンスがやってくるよ。きっと。」
年美さん:「それは楽しみですね
」
先生:「多分そういう事だと思うの。その前にちゃんと丁寧にしておきなさいっていう事だと思うの。だから何かドカンと起こる度にその事について苦しむ悲しむよりもその次がワクワクする。こんな経験したら何か来るって思うの
」
年美さん:「次何がくるか楽しみですね。」
先生:「そうでしょ?その兆しが見えたら皆さんにご報告しますね。というところでお休みなさい
」
今週のラジオはここまでです。
やっぱり先生の考え方はすごいなぁと思います。私だったら”なんでこんなに頑張っているのに運命は自分の邪魔をするんだ”って、また世の中というか自分の運勢を恨んでいると思います。次に良い事が起きるなんて、その前の準備段階だなんて思いつかない、、、
あと、所作を丁寧にする内容のラジオを聞いて、今まで私の所作が雑なのは家柄が悪いし、そういう教育を受けてこなかった家庭環境が悪いんだと、これまた他のせいにしていたのですが、そうじゃなくてただ単に両手で所作をしてないからだなぁと、品格は後からでも磨けるんだなぁという事を痛感しました。でも、それが痛感できたのも、以前先生が「私たちは幾つになっても子供で、親にどう思われるか、親の目を気にして生きている」と仰っていて、「一緒に住んでなくても親の目を気にして生きているんですか?」と私が聞いたら「一緒に住んでいるとかそういう事は関係ないのよ。」と仰っていた。
今回のラジオ内容を聞いて、私の普段の素行を見たら言葉遣いの悪さや雑な所作を母が見たら、きっと母は苦しむに違いない。なぜなら母は人の目をかなり気にして生きているから。気にしすぎてスーパーに買い物に行く事大変。なぜそんなに外出するのが嫌なのか聞いてみると、母曰くみんなが母の服装を気にしているらしい。誰も母のことなど気にしてはいないが、母の中ではスーパーアイドル並みにみんなが私を見ていると思っているようだ。
そんな母は私が外にいるときの所作についてうるさい。母と一緒に外出をするといつも母は眉間にしわを寄せて不機嫌そうに歩く。母曰く私の所作が母をそういう顔にさせているようだ。つまり、今現在の私の所作を母が見たらきっとショックに思うだろう。言葉使いなんて特にだ。先生に何度注意されても治らないのはのはきっと親への当てつけだろう。人を恨んでいるとこういう所まで侵食しているんだなぁと思うと恐ろしいですね。