瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。
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今週は先週のご相談の続きからです。
先生:「先週ご相談をいただいていたんだけれども、その方のご相談に対して直指人心っていう言葉を1つお伝えしたいなと思って先週みんなでこの言葉をお勉強しました。これは我々みんな誰だって心の奥にはピュアなものが必ずある。純粋な心を必ず持っている。その純粋な心というものが先行リードで後から欲が出てきた。そこは問題ないんだよっていう話をしたんです。
私たちの心には煩悩という欲であったりとか、人を出し抜いてやろうとか人を陥れてやろうとか名誉欲の裏返しだと思うんだけれども、そのような心の働きがある。そういう心を自分は欲まみれになっているからそういう自分が大嫌いで、皆さんがキラキラして見える。だから私は瀧本先生の勉強会に行きたいけど、こんな薄汚れた自分が行くのは場違いなんじゃないか。だからどうしても行けない。自分がどんどん嫌いになる。。。
というようなご相談を前回頂いていたんです。もちろんこの方だけではなくてみんな汚い心をいっぱい持っている。煩悩とか他人を出し抜くとかみんな持っているけれども、みんなピュアな心も持っている。さぁ、この2つをどうやったら上手にバランスを取れるのか?っていう事なんだけれども、心には使う順番があるってお釈迦様が仰っていたんです。
煩悩から働くからだからピュアな心が見えなくなる。ピュアな心がどんどん見えなくなっちゃうんだけれども、まずピュアな心を作動しなさいと。ピュアな心って一体なんなの?どうやったらピュアな心が見つかるのか。どういう風にする事がピュアな心でいるという事なのか?っていうことを仏教では、
目の前に巡っている自分がやるべき事できる事、自分の今の力量で自分ができる事それを自分の役割としてちゃんと行う。自分がやる。自分のできる事を自分がやる。
これがまさにピュアな心なんだよと言われていたんですね。そういう自分ができる事、やれる事を自分が責任を持ってやる。そうすると必ず自分が何かの役になっているなっていう事の喜びとそれが繋がっていくという事なんですよね。すると、もう少しこういうようにしたいなぁって。その欲というのは必ずどなたかの喜びに繋がっていくから、心には薄汚いところとピュアな部分が両方あるけれども使う順番を入れ替えると人生が突然素敵な人生になるという事をお釈迦様が仰っていたわけですね。
本当にその通りだと思います。お便りいただいた方は職歴も学歴もない何もないって私には何もないって、すごくそこにコンプレックスを感じられているような事を書かれているんですけれども何もないとかっていうけど職歴とか学歴とか、この方は犯歴があるという事なんですけど、何れにしてもこの歴というのは何なのかというといずれも過去なんですよ。過去に何をやってきたのかということに関して歴というのがつくんです。仏教というのは過去何も関係ないんですね。そんなことはどうでもよくて
今あなたはどんな心で何をやっていますか?
ということだけなんですよ。だからこの方は職歴も何もないって。みんなが輝いて見えるから私は先生の所に会いに行けないって、どちらかと言うとそれが一番罪じゃないの?って。今できる事なのにそれをやっていない事に問題があるんじゃないんですか?って私は思うんです。
自分に何もないんだったら、何もないから何もできなんじゃなくて何もないと思っているなら出来ることだけやれば?って思っちゃうんだけれども、つまり自分にできることは何でもやる。この1行を獲得して欲しくて、何もないから何もできないじゃなくて、何もないなら出来る事だけやろうよって、そっちじゃないですかね?って思うんです。
右近 勝吉(うこん かつよし)さんっていう方がいらっしゃるの。その方は何もないのよ。学歴もないし何もない。その方の所に総理大臣まで会いに行くの。」
全員:「![]()
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」
先生:「その人はヤクザだったの。チンピラっていうかそっちの組の人だったのね。ろくなことしない。悪いことばっかりやって人を苦しめる、悲しめる、傷つける事ばっかりずっとやっていてこの世の中は何も楽しくないって、本物のワルだったの。すると、ある日牧師様みたいな聖職者にたまたま出会って、その方が今まで見たことがない穏やかな表情で微笑んでいたの。その人の表情を見て衝撃を受けて”人ってこんな顔ができるんだ!”って。今まで戦っている人の顔しか見たことがないから。”こんな穏やかな顔ができるんだ”って、すごく衝撃を受けてもう一度その人の笑顔が見たい。もう一度見て見たいといってその方がおられる教会に行くようになったの。」
恭子さん:「穏やかな顔が見たくて?」
先生:「そうそう。」
今日は区切りがいいのでこの辺で![]()
自分には何もないと思っている時は何をしていいのかよくわからないし、自分の過去に自信がないというか、自分の過去にも価値がないと思っている私としては何ができるのか本当にわからなかった。正確にいうとわからなかったのではなくて、やりたくなかったという方が正解だと思う。本当はやれる事はたくさんある。例えばゴミ拾い。汚いからやりたくない。つまり正確に表現すると自分がやりたいと思えることが何もないだと私は思う。
また、過去が未来に復讐すると思っている私としては、私は過去を気にしないが世間が気にするのではないかと思ってしまう。だから、今の自分が変わったとしても、過去散々人を傷つけてきたのだから今更何が変わるんだとも思っていた。だから、このドロドロした考えを払拭し軽くしてくれる学びを探していた。本当にもう無理なんじゃないかと思っていた時に先生の法話に出会った。
今は自分の過去に怯えずに、そして自分の過去を気にせずに生きれるようになっていると思います。なので、このご相談者の方も先生の法話を直に何度も聞いたら楽しくなるんじゃないかなぁと思いながらラジオを聞いていました。
右近 勝吉さんのことを初めて知ったので早速本を買って調べてみたいと思います![]()