世の中は不公平だと思っていた。その事に対して怒っていた。やり場のない怒りだ。学生の頃は両親や身近な人に対してイライラしていたが、社会人になってからは社会に対してもイライラし始めた気がする。
それは何故か?こんなにも学歴や入社した企業によってお給料や待遇が違うという事を実感したからだと思う。同じ1時間でもこんなにもお給料が違うんだと。。。私の方が働いているのにも関わらず、立場が違うだけで(例えば正社員と派遣社員など)ドラマやテレビのドキュメンタリーを見て分かっているはずだったのに気づいていなかった。そして、専門学校を卒業した私は、就職難と言われていた時代に就職活動もせず面接1回で就職できるような企業を選んだ。もちろん薄給の企業だったが、私が最初に世の中に腹がたったのはそこではなかった。
有名企業で勤務している人は福利厚生でランチ代補填されたり、レストランや百貨店で割引が適用されたりと私よりも稼いでいている人の方が安く支払いができて、私のように薄給の人が多く支払いをしなければいけない事。その事になんとも言えない苛立ちがあった。逆でしょ?って思っていた。なのでレストランなどでいい待遇を受けている人を見ると自分と比べて不機嫌になっていた。
次に私が考える思考として、私がこの家に生まれてしまったから悪いんだと本気で思っていた。なぜこんな家に生まれてしまったんだろうと真剣に毎日暇さえあれば考えていた。もし、私が家柄もよく裕福な家に育っていたらこんな惨めな思いはしないで済んだだろうと本気で真剣に思っていた。今の私なら、家柄もよく裕福な家に生まれていてもきっとあなたは進学する勉強はしなかっただろうし、進学したとしても勉強したくないのに無理やり勉強させられたと言って両親や学歴社会の世の中を恨んでいたに違いないと思うのだが、先生と出会う前の私は自分の出生から誤りがあったのではないかと心の底から思っていた。自分の出生から恨んでいたので、もちろん自分の事も両親の事も世の中の事も全て嫌いだった。
先日、瀧本先生のWEBサロンに投稿されているお話の中で先生が、
答えのないもに対して疑問を持った時に苦しみが生まれる
と仰っていた。
それを聞いてハッとした。【なぜこんな家に生まれてしまったんだろう?】という疑問自体が答えがないもので、それをずっと考えているから私は苦しかったのかもしれない。今苦しくないのはこの疑問を持つ事を辞めれたからなのかも?と思った。
さらに、先生は
それよりも、なぜ今その疑問を持ちたいのかを考えるように
自分の中を観て行ったら必ず真理がある
と仰った。
なるほど。。。私はなぜ【なぜこんな家に生まれてしまったんだろう?】となぜずっと考えたんだろう?色々あると思うが、一番はそれは自分が不幸であると認識したかったからだと思う。やはり両親に復讐するには自分が不幸でい続けなければいけないし、復讐というか恨みというのはかなりの生きるエネルギーになるので、それを失いたくなかったんだろうなぁと思う。
あと、私は常々思っているのだが私は仕事をしたくない。ずっとぼーっとしていたい。なので、何もしなくても生きているけるような資産家の家に生まれて資産を継承できる家に生まれたかったと思っていた。だから、なんで働かないといけないんだと、なんで実家に資産がないんだと本当に腹が立っていた。だったら自分で資産を作ればいいのだが、そういう都合の悪いことはうちの家系はとか遺伝のせいにする。
すると、先生はそのサロンの中で、よく「なんで働かないといけないのでしょう?」という質問を受けると仰っていた。
真理には理由がないの。だってそうなのよ。
と、さらに続けて、、、
大人になったら働くのは当然よね?大人になったら自分の足でしっかり立つ。当たり前の事。
と、力強く先生は仰っていた。
なるほど。。。私はただ甘ったれていただけだったんだなと。。。自分に自信がないし、自分がいかにダメ人間か知っていたから、世間で適用できないと、世間から「あなたは不要な人ですよ」と烙印を押されるのが怖かったからなんだなと、その怖さを全て両親や世間のせいにしていたんだなと腑に落ちてスッキリした。
スッキリしたのはいいが、今後どうしたらいいのかはわからない。なにせ面倒臭がり屋なので努力する事も何かをし続ける事も嫌いなので、どうなるかはわからないが以前ように全てに対してイライラしなくなっただけでも良かったということにする。