瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

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課題の捉え方についての続きからです。

 

 

先生:「ご相談されたお母さんにも1つ言ってあげたかったのが、自分の発言内容と行動を一致させてくださいとプロの方から言われたのであれば、もちろんそれを意識したらいい。それも課題にしたらいいんだけれども、こういう事態を今自分は経験していく。今これが私に巡っている課題。もっと大きく視野を持ってって思うの。

 

『娘が、、、娘が、、、』ではなく、敵視しているのはもしかしたらお母さんあなたかもしれません。だから、そうではなくもっと引いて広い視野でみた方がいい。常に人生の課題。いつか必ず時が来たら必要な形になっていくだろうなって。課題が入れ替わっていく。次の課題が用意される。任した方がいい。大きな力に。

 

『またこの子こんな事言って、、、』論うように言葉に反応してしまうと大変だからね。そんな課題はないの。絶対に。娘の言葉にいちいち反応しろという課題はないの。」

 

 

 

年美さん:「受け入れるという事ですよね。」

 

 

先生:「とりあえず、今はこういう課題かと。ここで娘に目くじらを立てる事なく1つ1つにいちいち心をハラハラする事なく、今やるべき事を平穏でやる。娘には『美味しいご飯があるよ』とか、娘に可愛いねって言ってあげようとか、娘がお皿を運んでくれたらありがとうと言ってあげようとか、そこの課題をちゃんと課題視してチャレンジする方がいいと思う。前回はそう言ってあげようと思っていたの。

 

基本的信頼感というのがあって、基本的信頼感って私がれい子を信頼している、れい子が私を信頼しているとかそういう事を言っているのではなくて、基本的信頼感って何かと言うと。スケールが大きいよ

 

 

 

この世は安心できる場所である

 

 

 

っていう信頼感。」

 

 

 

全員:「びっくりびっくりびっくり」

 

 

 

先生:「誰とかの問題じゃない。1番大きいくくりでこの世は安心して生きれる世界である。または、この世の中は私を安心させてくれる場所であるというのを基本的信頼感というの。」

 

 

年美さん:「これは仏教なんですか?」

 

 

先生:「仏教というより心の成長段階の中で基本的信頼感を養って大人になっていった場合は、何か人との不具合があっても堂々と自分を否定できる。”あれ?私間違えていたかな?”とか、なぜかというとこの世は安心できる場所だから。」

 

 

年美さん:「それを信じれるかどうかってこっちの課題なんですか?それができないと、完全な安心が出来ないと逆に疑ってしまう。」

 

 

先生:「これの逆があってね。基本的不信感というの。」

 

 

年美さん:「こっちの方がしっくりくる爆  笑」

 

 

全員:「拍手拍手拍手」

 

 

先生:「基本的不信感というのは、この世の中は安心できる場所ではないという信念。」

 

 

規子さん:「全部敵に見えてしまう。」

 

 

先生:「そうなの。どちらかなのね。基本は。大なり小なりあるよ。」

 

 

れい子さん:「それはどちらを持っていてもいいんですか?」

 

 

先生:「それは基本的不信感を持ってたら大変なことになるよ。」

 

 

れい子さん:「以前、仏教は全てが苦である。だからそこから学んでいったりとかするって捉えていると、何があっても”それはそうね”って思えると学んだのですが、そういうこととは違うんですか?不信感は。」

 

 

先生:「苦しいという事と苦しめられるということは違う。この世の中は苦しい世の中だよって。だって気に入っているものが朽ちるし、好きな人は死んでいくし、自分も死ぬし、この世の在り方としては変わらないで欲しいという癖のある人間からすると、全てが変わるという世の中にいるからそれは苦しいものなの。

 

ただ、この不信感を抱くというのはカテゴリーが違う。この世の中は安心できない世の中であるというのがベースの信念にあるとひどくない?」

 

 

年美さん:「先生が基本的信頼感って仰った時にイメージしたのが、先生から昔聞いた言葉ですごく印象に残っているのが、『必ずみんな幸せの方向に向かっている。何もしなければ必ず幸せになる。だから自分のワサワサなっている感情は自分でそれを作っているから、それを何もしなければ必ず全員幸せの方向に向かっているから大丈夫。』って仰ったことがあって、そういう事ですか?それと基本的信頼感とは違うんですか?」

 

 

 

ここで曲紹介になったので今日はこの辺でバイバイ

 

 

私はまさしく基本的不信感でしょう。それも大なり小なりの大の方で。本当かどうかわかりませんが母が私が乳児だった時の話を聞いた時がありまして、その時も夫婦仲があまりよくなかったようで、いつも口論していたようなのできっとそういう環境が影響しているんじゃないのかなぁと思います。

 

今の職場に人の悪口が思いつかないという人がいて、基本的不信感の私は”そんなことあるはずがない。また嘘つきが現れた。退治しないと。”と思ったんですが、どうやら本当に人の悪口が思いつかないようで、きっとその人は基本的信頼感側の人なんだろうなぁと思います。

 

どうやったら基本的信頼感側の人になれるんだろう?次のラジオが楽しみですニコニコ