瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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抑圧という現象のお話の続きからです。
先生:「抑圧という現象が起きていたのね。自分の苦しい事を見ないようにしよう。抑圧していることって多分これだけ心の勉強をしていてもたくさんあるよ。」
年美さん:「あると思います。」
先生:「私もあるよ。抑圧している状態が悪いっていう事ではなくて、それに蓋をして無かったことにしてしまう。無かったことにしてしまおうって自身の防衛機制が働いてくれて、これを頻度高く思い出したら悲しくなるから蓋をしてなかったことにしておいてあげようって、勝手に全身が相談して決めたんだろうね。
でも、その抑圧している蓋を開けてるとその壺の中には、多分おどろおどろしいモノがたくさんあるんだろうけど、それを無理やり開けようと思っても開かないから大丈夫。開かないの。そんなに防衛機制は甘っちょろくありません。」
年美さん:「おぉ
そうなんですね!」
先生:「自分の意図では開けれません。でも、観に行かせる事を私はするのね。そうしたら時に蓋は開くのよ。じゃぁ開いたら大変なんじゃない?って、大事件大惨事になると思うでしょ?ところが、開けれるという事はもうそれに触れても大丈夫なほど過去になっている時には思い出せる部分だけ思い出せるからね。
そうすると、彼女が『あ
先生私ノッポだからってお父さんに言われました!あそこからです。』その子が思い出した時には平気で思い出したっていうように、法律って色んな所で無意識で作ってきちゃうの。その子は背が高いと幸せになれないっていうようなルールがあった。だから膝を曲げて歩くようになった。絶対にヒールを履かないようにした。165センチで身長が止まっているの。」
年美さん:「今なら全然いいですよね。」
先生:「全然普通でしょ?『あなたそんなに背が高くないじゃない?私と変わらないじゃない。』って言ったの。『でも私はダメ何ですよ。。。』って言うの。『じゃぁ、今からは意図的に165センチってOKって思えるよね?許せるよね?』って言ったら、『許せます。』『だったらもういいんじゃないの?』って言ったら、『本当ですね。もういいです。』って、そこで終了ってなったの。」
規子さん:「もういいですよね。」
先生:「そういう【こうでなければ幸せになれないんだ。こうだと不幸になるんだ】という両方法律がある。それを今まで話をして来たんだけれども、それだけだと”あ!そうか。私はこんな法律を作っていたのか。だから生きにくかったんだ。なるほど。ハイ終わり”というわけにはいかない。」
年美さん:「そうですよね?そこからですよね?法律を知った上でどうしたらいいのかですものね。」
先生:「そうそう。そうなの。なので今まではこんな法律の種類があるよとか、こういう様な事をして自分に規制をかけているとか、生きにくくなっちゃうとか、人によって苦しみの理由が違うのはそういう事だよね?とか、そういう話をして来たんだけどちょっと角度を変えて、これからシリーズでお話できたらいいかなぁと思っているのが、今私たちは人生のどのあたりにいるかという事を観ていくお話をしていこうと思っているの。」
年美さん:「え
人生のどのあたり?現在地という事ですか?」
規子さん:「長さじゃないんですよね?」
先生:「長さじゃなかったらなんだと思う?人生のどのあたりにいるでしょう?50歳あたり?」
年美さん:「正解!その辺り
」
先生:「ところが、人生100年だったとすると50歳だったら約半分あたりにいますって果たして言えるでしょうか?」
規子さん:「心の成長というものでしょうか?」
先生:「そんな感じ。つまりは人生の何合目にいますか?っていう事なんだけどね。」
年美さん:「何をもってそれがわかるんですかね?知りたいですね。」
先生:「そうなの。」
規子さん:「測る方法があるんですか?」
先生:「あるの。」
全員:「あるんですか
知りたいです![]()
」
先生:「そのシリーズをしていこうと思っているの。つまりこのお話をしていきたい狙いというのは、今までは過去においてのこの1点が自分の足枷になっていて非常に人生が歩みづらかった。それをどんな種類があるかとか、どんな時にどんな悪影響になるかとかそういうお話をしてきて、確かにそれだけでも自分の事をよく気づいて『すごくよくわかった』って仰る方たくさんいらっしゃる。このラジオのリスナーの方からもたくさんのお便りをいただいた。
なので、東洋思想ではどうなのか。お釈迦様はどう言われていたのかも含めながら、一生という形でお話をしたくて、どちらかというと今までは仏教ではあまり話していけないとされている過去の法律的な話をしてきたんだけども、一生という形で捉えた話をしたくて四住期という話を覚えてる?」
年美さん:「覚えています。」
先生:「学生期、家住期、林住期、遊行期。仏教では人生を4つに分けているの。学生期は、これは師匠を見つけてしっかり勉強をしていく。これは義務教育ではなくてね。義務教育が終わってある程度大人になって”あ!私はこの人から学ぼう”って勉強していく。
家住期は、家を中心として家族を中心として生きていかなきゃいけない時期がある。子育てとか親の介護とか。林住期というのは林に住むという意味で本当の自分を鍛錬する修行をするという時期。遊行期というのは死ぬ準備に入る時期。遊ぶという字を書くけど、物事を忘れたりとか物覚えが悪くなったりとか、排便もできなくなったりとか、つまり生まれたての赤ちゃんに戻っていく時期。
仏教はこの4つに捉えているのを、さらにそこに細かいものを上乗せしながら、私たちってこういう一生を過ごしていくっていうお話をしていきたいと思っていてそのお話は来週
」
今週のラジオ内容はこれで終わりです。
すごい盛りだくさんなラジオ内容だったと思います。
自分が人生の何合目かの話の時は、私の寿命がわかるのかとビックリしました。そういう事じゃないみたいだったので良かったです。
抑圧という話が出ていましたが、自分で観るのは難しいと仰っていましたが自分でできる様になりたいですね。一体自分が何を危険だと判断して蓋をしているのか知りたい。きっと今の私だったら全然大丈夫な事なんじゃないかと思います。しかし、こんな平和な国に生まれてもこれだけ傷ついたりしているのだから、これが戦争をしていたり戦国時代だったり、飢餓とか自然災害に苦しむ時代だったりしたら、今以上の苦しみだったんじゃないかと思うと、今の時代に生まれて良かったなぁと思います。
次回のラジオ内容が楽しみです![]()