いつもそう思って生きていた。例えば私は裏表がない性格だと思っている。そんな私が友達から嘘をつかれたとする。すると私はこう叫んでいた。「私は人に嘘なんかついたことがないのにどうしてこんな経験をしないといけないんだ!」と。一人で道を歩いているときは険しい顔でブツブツ独り言を言いながら歩いていたし、友人と会っているときは良く通る大きな声で愚痴を叫んでいた。
そしてこうも思っていた。なんで私に嘘をつくような人の方が幸せそうに生きているんだ!私を傷つけたんだから私よりも不幸になってほしいし、私より傷つくような事が今すぐ起きればいいのにとも思っていた。
ところが、瀧本先生のお話だと、私がこういう経験をしているのは私がその原因を作っているからだそうだ。納得いかない理論だ。なぜなら、私はその友達に嘘をついていないからだ。もし、私がその友達に嘘をついていたのなら自業自得なので理解できる。でも私はその友人に嘘をつかれる筋合いもなければ傷つけられる筋合いもない、ましてやその友人との仲を悪くなりたいと思っていない。私は原因は作っていない。原因を作ったとするなら相手だ。
なので、こういう自分が望んでいないことが起きると私は相手のせいにしていた。相手が嘘をつくから悪いんだと。私を傷つける人はいらないから縁を切ろうと思い、過去の自分は縁を切ってきた。いや縁を切られていたんだと思う。たとえ縁を切られてたとしてもそんな人ならもういいやと思って気にもしていなかった。
この話のポイントは何が言いたいかと言うと、私は一方的に友人に嘘をつかれ傷ついた人で私は被害者で悪くないという事。にもかかわらず先生は「エイリアンがその原因を作った。犯人はエイリアン。」と仰った。本当に意味がわからない。
もし、私のこのブログの内容を読んで、私の気持ちが理解できる方は先生のこのブログを読んでいただきたい。
https://yaplog.jp/takimotokousei/daily/201610/07/
今から約2年前のブログ。当時先生がおっしゃっていたことが全く理解できなかった。でも今はようやく理解できるようなった。理解するのに2年なんと長い道のりだったか。理解できたのでこれからようやく実践となるのだが、理解できたとしても私のことだからいつ忘れてしまうかわからなので、理解できた部分に関してはまた明日詳しくブログに書いていきたいと思う。