特にビジネスモードの目上の方。いや、そうではなく声をかけていいのかどうか一瞬でも躊躇うとずっと声をかけれないような気がする。なので、その方の周りに人がいなくなるまで待っているので、こうなってしまうと最後まで声をかけれない、いや、声をかけない事がよくある。
なら、目線だけでも合わせて会釈ぐらいすればいいのだが、そうなるとなるべく目を合わせないようにするので私が無視モードになる。目上の立場になった事がないので相手にどのくらいの不快感を与えているかわからないが、快ではないのは想像しなくてもわかる。若い頃からこの癖に気づいていてどうにかしたいと思うのだが、真剣に向き合うこともせず放置していた。
さて、このことを放置しているとどうなるかというと、瀧本先生に挨拶をしないという事が繰り広げられる事になる。結構クリティカルにやばい事。例えばどんな時に挨拶しないのかというと、先生の法話会が会議室のような会場でなさる時によく起こる。法話が始まる前は挨拶ができない。なのでいつも先生から声をかけていただいた記憶がある。当時は、法話が終わった後居酒屋さんに行っていたがそこでは挨拶はできる。それも本当は挨拶ではなく質問したいことを聞いていただけのような気がする。
あとは、先日の先生と美千子さんのコンサートが終わった後、会場にいらっしゃった皆さんは一斉に立ち寄り、感動を握手と共に伝え記念写真を撮られていたが、その時も私は一人ソファーに座りその場を眺めているだけだった。会場にいらした方が「写真撮らないの?」と声をかけてくださったが、あまりに長蛇の列だったので「今は大丈夫です」と一緒に並ぶのを断った気がする。
なので、先生に声をかけたのはコンサートが終わった後の打ち上げの居酒屋で声をかけたのを覚えている。先生もきっと挨拶してこないことに違和感があったことだろう。なので、きっとこれを続けていたら注意されるから気をつけないといけないなぁと思っていたにも関わらず同じことを繰り返すことになる。
先日の合宿での事。私は受付の役割があったので他の方よりも早めに会場入りしていた。先生が機敏に会場のチェックなど年美先生や藤田先生と最終チェックをしていた。他の方は、先生と目が合えばそのような状況でも「よろしくお願いします」とか普通に声をかけているのに、私はというとどうしても遠慮してしまうというか避けてしまう。。。
内心”どのタイミングで声をかけたらいいんだろう。もう少し落ち着いてからの方がいいのかなぁ”と、自分に挨拶ができない合理的な理由を並べて自分を納得させその場をしのぎ、会場近くの打ち合わせスペースでソファーで円陣になりながら受付作業の打ち合わせを年美先生と藤田先生からお話を伺っていると、「私もいるのよ」と隣のソファーから先生の声。”そりゃそうですよね”と内心思い、私がさっき組み立てた合理的な理由は一瞬にして打ち砕かれた。さすが先生だ。
邪魔したらいけないなぁと、普段は働かないのにこういう時にだけ働く変な気遣い。
もしくは変な奴だと思われ目立ちたいのか?
それよりも話しかけるのが非常に怖い。
変な気遣いではなく怖いから逃げてるだけだなぁ。なんで怖いのかはよくわからないし、深く探求する必要がないと思う。昔通っていたセミナーだったら、この部分にフォーカスして探求し、結論的に養育者つまり両親が昔話しかけて私を叱ったからみたいな感じで終わり、より両親を憎むパターンに私は陥るが、今の私にはそのパターンは必要し、過去は過去で今の私に影響がないことを先生から学んで気づいた。探求も大事だが、それよりも怖くても自分から声をかける実践をすることにした。
なので、合宿が終わった食事会でも自分から先生に声をかけるようにした。逆視道で先生とお会いした時も先生より先に声をかける事を目標にした。普通の人からしたら「そんな事?」と言われるような些細で小さな事が私には難しくてできない。本当に私は欠陥品だなぁと思う。なんでこうも普通の人が簡単にできる事が出来ないのか不思議でしょうがないし、こんな私にとって難しい事が簡単にできる皆さんや子供達は本当にすごいなぁと思う。
今はまだ気をつけないと無視モードになってしまうが、気をつけるようにしたので会社でも挨拶する回数が増えたような気がする。
まだまだ始めたばかりなので自分の変化がよくわからないけど続けていきたいと思います![]()