瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

下差しこちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。

http://www.radiokishiwada.jp/simul/

 

 

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曲が終わってトヨさんのご質問からです。

 

 

 

トヨさん:「知足は第一の富なりっていうことについてお話をもっと伺いたいんです。」

 

 

 

先生:「足るを知っているということが最も豊かな事である。みんな足りたら豊かって思っているけど、全然足りなくてもこれで十分だって思う事が一番の富であるって真逆の言葉なの。じゃぁ、少欲知足のように”本当だったら10個あったら嬉しいけど1個かぁ。。。これで足りてるショボーン”ってがんばって思おうとしてもちょっと心に嘘ついてない?」

 

 

 

年美さん:「めっちゃついてます!!

 

 

先生:「そうだよね。やってはいけない幸せの獲得法を人間はすぐにやってしまうの。仏教は絶対にそれはやってはいけないっていっているけど、世間ではそういう言葉が飛び交っているのが何かというと、例えば10個欲しいのに自分は5個しかない。

 

 

 

『そんなこと言うけど、あの子は1個しかないのよ。そう考えたらあなたいいじゃないの。』

 

 

と、いう比較の原理で満足させようっていう会話が美徳として世の中にあって、あぁいうような状況の人たちがいる事を考えたら幸せでしょ?って。それってどんだけの差別ですか?」

 

 

 

全員:「そ、そうですよね。でもしていますね汗汗

 

 

 

先生:「割と良き言葉として使われてるよね?その言葉聞いたらすごくない?」

 

 

 

規子さん:「傷つきますよね。。。」

 

 

先生:「女の子が『もっと私綺麗になりたい!美容整形受けたい』って言ったとするでしょ?『あんた、あの人見てみなさい。あれでも笑ってるでしょ?あなたの方がよっぽど綺麗よ』って言うのを聞いたらどう?」

 

 

年美さん:「酷いなって思いますよね。」

 

 

先生:「それと一緒で10個持っている人の中で5個は悲しいなぁ。1個の人もいるんだから5個あるのは幸せっていうのは本当に、差別のほか何でもない。足りるを知るための手段として世の中に蔓延しているわけ。じゃぁ、それが良くないというのであれば何があるんだ?」

 

 

トヨさん:「どうするんだ?でも、こういう言葉無意識によく使っていますね。」

 

 

先生:「これはすごい人種差別だからね。もっと直球でいいんだけれども、みんな10個あって私は5個。5個の自分は不幸だって思っているわけじゃない?10個がいいんだから。何だけれども、自分が不幸だと思っていることの例外を見つけるってことなの。

 

5個だったら本当に不幸ですか?っていうように、その状況ですごく楽しい幸せそうな人を見つけるという例外を見つける事をする。

 

自分より何か劣っていると認識している人を探すのではなく、同じ立場で幸せそうな人を見つける。」

 

 

 

トヨさん:「あぁ。。。全然違いますね。」

 

 

 

先生:「その人を認めてるから。」

 

 

全員:「例外を見つけていく。。。」

 

 

先生:「私がそれを一番最初にやったのは、私はラジオでも何度も言っているけど、腕を切断しなくちゃいけなくなった時に、もうどん底。世の中の不幸を全部自分が背負った感じだったからね。たかが右腕だけで。」

 

 

 

トヨさん:「20代の女性ならそうなりますよね。」

 

 

先生:「その時に本の中で仏教と出会って、そこからは意図的に仏教の本を読むようになったの。そうしたら、今のような事が書いてあったわけ。【お前だけが不幸なのか?例外を見ろ。お前はそういう条件が不幸だと思っているけれども、その状況で幸せな人はいる。あなたが決めつけたその例外を見よ】っていう事をお釈迦様が仰っていて、”腕がなくても幸せだと言っている人を探せという事ですね!”って思って、そこからは本の読み方も変わってきたし、交通事故で腕が亡くなった方や生まれもって片目が見えない方が、生きていくために何か代案を出してカバーして、そこで自分の個性・魅力を出している。その人なりのワールドを送っていて、”ほほぅ”って思って心がリセットできたの。

 

いま、これを喋りながら思っていたけど例外探しをよくやっている。」

 

 

 

全員:「ビックリマークビックリマークビックリマーク

 

 

年美さん:「今もですか?」

 

 

先生:「今も。」

 

 

年美さん:「先生の例外探しってどんな事ですか?」

 

 

 

今日は時間がないのでこの辺でバイバイ

 

 

私は幼い頃からテレビでアフリカの貧しい、ミルクも飲めないような民族のドキュメンタリーを見て、大人たちが日本は幸せな国とかそういう事を言っているのがすごく嫌だったし、私の両親もよく『あの家よりまし』とまでは言わないものの、そういう会話で自分を納得させるか、もしくは『あの人の家は裕福でなんでうちはこんななのかしら』と自分よりも優れている人と比べて愚痴る人でした。

 

 

子供ながら、自分よりも下だと思う人と比べても何か違和感がある(私の場合自分よりも下だと思う人には滅多に出会わないので該当しないのですが。。。)。上の人と比べても私の場合はただ卑屈になるだけ。どうしたらいいんだろうと思っていたところにトヨさんのこの質問。すごくスッキリした。

 

しかし、やっぱり私だなぁと思うのが、例外を見つけてもさらに自分のダメなところを見つけるので結局自分がダメだになってしまう。どういうことかというと、例えば、お金がなくても幸せな人がいる。実際にいるのは知っている。その方はお金がなくても人気があるので飲み会があると誘われるし、みんながその人の分まで払うからお金はいらないし、確か居候しているから住居費も書かない。そう。確かにお金がなくても楽しんでいる人がいる。

 

ここで私の思考も止まればいいのだが、今度は”あなたには人望も人気もないからお金なくても幸せにはなれないわよ”と、思考が囁いてくるのだが、これはどうしたらいいんだろう?気にせず”私もお金がなくても幸せになれる!”って思い続けたらいいのだろうか?

 

明日のラジオも楽しみですウインク