瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

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瞑想を続けて赤ちゃんのようになったらどうなるのかのお話の続きです。

 

 

 

年美さん:「それになるとどうなるんでしょうね?それを得たら人に優しくできるとか?全部許せるとか?」

 

 

 

先生:「えっと。。。類似体験というのがあるの。こんだけ修行もしたしね。実際に山の上で修行もやらされる。することないんだもの瞑想しか爆  笑

 

 

 

年美さん:「そのために山に登られているんですものね?」

 

 

先生:「瞑想しかすることないから暇じゃないのよ。側から見たら暇そうに見えるけどね。”こういう事かビックリマーク”っていう何か色んなものが心の中で何か壊れていくの。必死に持っていたはずの心のバーテーションがぶち壊れていくの。痛みにも似た衝撃が心に走る。」

 

 

 

年美さん:「えーびっくりびっくりびっくり

 

 

 

先生:「衝撃が走る。”あビックリマークこういう事かビックリマーク”ってわかった感じ。”こういう事かビックリマーク”って。側から見たらボーッとしているだけなんだけどね。」

 

 

 

年美さん:「でも中ではめっちゃ感じてるんですよね?」

 

 

 

先生:「中ではもう必死。そういう類似体験はある。”なるほど!!”みたいな。そうしたら、どーでもいい事が世の中に多すぎるっていう事が最初の感情だった。どうでもいい事だらけなんだって。

 

 

 

 

すごく大切なものって1つ2つなんだ

 

 

 

とか、淘汰する対象が入れ替わった感じがした。例えば今まではお金とかって大切なものの方にあったの。それじゃない方とお金がまずひっくり返ったの。”そういう事かビックリマーク”って。繋がることに対して必要じゃないものを人は追っている。」

 

 

 

年美さん:「体験はできてないですけどなんとなくはわかりますが、それをずっと1回体験すると続けられるんですか?」

 

 

 

先生:「その気持ちは続けられない。」

 

 

 

年美さん:「欲が出て?」

 

 

 

先生:「やっぱりこの世の中の時間軸では無理。やらなくちゃいけない事がいっぱいある。例えばメールを返さなきゃいけないとか、付き合い方が複雑になりすぎて無理。昭和初期のようにメールも携帯電話も留守番電話もない時代であればギリギリ山の上で修行中に体感したその心を娑婆の世界に持って帰れたと思う。今は家を出ても携帯あるしどこでも人が追いかけてくる。そんな中で無理だと思う。」

 

 

年美さん:「なかなかそこの胸中にはいけないし、ずっと保つことは難しいんですね。」

 

 

先生:「ところが、一回類似体験して自分なりの感覚がわかれば”さぁ瞑想しよう”って瞑想した時にそっちの方向に深まっているかどうかの確認ができる。次からね。だから、”今日は全然気が散ってる。ダメだわ”って思ったらやめたらいいし、”ちゃんとわかっていってる”ってなったら続ける。その時間を決めて1日最低でも20分は瞑想しろっていうのね。その感覚を1日20分でもいいから大切なものが入れ替わる感覚というか大切だと思っている事と、蔑ろにしていたことのウエイトが変わる。そういうのを1日20分でもすると1日に対しての影響がある。娑婆の世界でもね。

 

けれど、その心の状態でまるでお釈迦様のようにいけるのか?っていうとそれは無理で、お釈迦様は悟られてから死ぬまで全部その時間軸にいたって仰っていたからね。」

 

 

 

全員:「すごーいビックリマークビックリマークビックリマーク

 

 

 

先生:「だから、生きているっていう事の喜びがかなり薄まってしまうの。逆に言うと。そこに境界線がないからね。肉体というものと空間というものとの境界線もない。だから仏教というのは死んだら死んだであっそうっていう感じなの。本当の仏教はね。日本仏教は葬儀仏教になってきたけど本当の釈迦が説かれた仏教というのは肉体に対する執着がそんなになくて、つまり我々は肉体とあなたの境界線は脳がめちゃくちゃがんばって作っているだけなの。いつも言うけど素粒子レベルではどうでもいい事。」

 

 

 

規子さん:「自然の一部ですものね。」

 

 

 

先生:「そうそう。みんな蠢いている霧の中の水滴のようなもので、今一瞬だけ規子ちゃんになっているけど、また霧と同じで風が吹けば規子ちゃんは消えてって言うように瞬間的な素粒子の塊っていうのが瞑想によって”そういう事かビックリマーク”ってモノに対する執着が一瞬バーンとなくなる。

 

本当に空を流れている雲みたいに、『見て!あの雲ハートの形してるね』って言って5秒後に年美ちゃんが空を見てもその雲がないじゃない?風が流れていたら。」

 

 

 

年美さん:「そうですね。」

 

 

 

先生:「そんなものなの。我々も移り変わっているモノなの。っていうのが、深めた瞑想によって体験ができる。”あれ買おう照れ”って思っていたものが、全く欲しくなかったりする。必要かっていったら必要じゃない。だから、そこからは必要な物だけのお買い物に成功してるの爆  笑

 

 

 

全員:「爆  笑爆  笑爆  笑

 

 

 

 

今日は区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

 

必要な物だけ買えるようになりたい。そう思ってこれまたいろんなセミナーに通っていました。そのセミナーに共通していたのがお金は自分と同じだから、自己肯定感が低いとお金が貯まらないという話と、自分を大切にできないと何が自分に大切なのかわからないから無駄なものを買って、本当に必要なものを買わないような、安物買いの銭失いになるという話で、私からすると私よりも性格が悪い人の方がお金を持っている気がして、自己肯定感さえあれば何してもいいのかな?って一瞬わからなくなる事がありましたね。でも、今日の先生のお話を聞くとどうやらセミナーで話をしていた内容と違うし、先生の話の方が納得いくので良かったです。

 

 

昨日も職場で怒鳴ってしまったので早く瞑想を体験して穏やかになりたいなぁと思います。