瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

下差しこちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。

http://www.radiokishiwada.jp/simul/

 

 

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今日から新しいラジオ内容です。年美さんがふるさと納税をされたお話からスタートします。

 

 

 

年美さん:「春って花がすごく綺麗じゃないですか?そういうのを見て”あっ綺麗だな”って思うこの感情って、前先生が何かでお話しされてたんですけど、『自分の中にある綺麗だなっていう感情を上にちゃんと意識的に持ってくるっていう事は、自分の中からその感情を出すという事だからすごくいいんだよ』っていうのお話がすごく頭にあって、去年ふるさと納税をして、先生がそうおっしゃっていたので花を頼んでみようと思ってんです。自分であまり花を買わないじゃないですか?」

 

 

 

先生:「素晴らしい!!

 

 

 

年美さん:「だから花を一回買ってみようと思って、バラを20本ふるさと納税でもらえるっていうのをやってみたんです。花瓶に20本のバラを刺して玄関に飾っていたんですね。そうしたら毎日花を見て”あっ綺麗照れ”って自分の中から出してくるんです。これって本当にすごくいい事だなって。見なかったらこの感情は出てこないんですけど、想って自分の中にある綺麗っていう感情を意識的に上げてくるっていう事はすごく一日が気持ちがいいし、うちは2階にリビングがあるんですけど、階段を降りてきたらその花が見えるんですね。そうしたら降りるたびに”あっ綺麗照れ”って思っている感情を常に出しているという事はすごくいいと思って、子供達にも『綺麗って思う?』って聞いたら『思うよ』って言うんです。『意識的に毎日見た方がいいよ。意識的にチラッとでも見ていった方がいいよ。そうしたら綺麗って感情が出てくるでしょ?それは一日の始まりというか毎日の日常の中ですごく大切な事なのよ』って言ったんですけど、自分でもそれを体験しながら花が咲いている間はいつも”綺麗照れ”って毎回そこを通る度に思うんですね。」

 

 

 

 

先生:「いい教育ね。子供たちにそういう事を喋るんだ!素晴らしい!!

 

 

 

年美さん:「はい。喋ります。子供達もそういう意識を考えずに花を見て綺麗と思っているかどうかもわからなかったですけど、その話をする事で意識的にそれも出来るんじゃないかなって思って言ったんです。」

 

 

 

先生:「素晴らしい拍手拍手拍手

 

 

 

年美さん:「今春になってすごい綺麗だし、緑も綺麗だし、そういう事はいい事なんですよね?」

 

 

 

先生:「そう。2次的に良いこと。」

 

 

 

全員:「二次的に!?

 

 

 

先生:「そうなの。我々凡人の追っかける幸せの概念から考えるととても良いことです。綺麗なものを綺麗だと思ったり言えたりする心って、おそらく我々凡人の人間たちはみんな幸せになれる。だから二次的にはとても素晴らしいことなの。まずそこにいこうよって感じよね?

 

そういう心を養っていなかったら『興味ない』とか、逆の事を言っちゃったりとか、素直にならなかったり、ましてや綺麗なモノさえも目に見えなかったりしちゃう。それだったら綺麗なものを見たら”綺麗だなぁ”とか、可愛い子犬を見たら”可愛いなぁ”とか思えたり、そういう心を養っておくと幸せを感じるタイミングを増やすよね?だから二次的には良いの。」

 

 

 

年美さん:「間違ってはいないという事ですか?」

 

 

 

先生:「我々の目線では間違ってない。あの人優しい人ねっていうのも、優しいっていう概念がきちんとわかっていて、それを他人の行いから見つける事ができると、自分が”じゃぁ、ああいう時はこういう声をかけよう”って、真似ていこうっていうように、その人の行動を取り入れる事ができるよね?

 

だから、人の優しさであったり綺麗さであったり、何かであったり、そういう事が目に付く心にしておく事は大切だから、お花を家の中に飾って毎日”綺麗だなぁ照れ”って頻度高く引っ張り上げる習慣をつけておくと、空を見ても”綺麗だなぁ照れ”とか、この引っ張り上げるパイプを太くしておくと簡単になるんだけれども。。。」

 

 

 

年美さん:「けれども!!

 

 

 

先生:「お釈迦様的には、仏教的にはあまりオススメではなだよね。。。」

 

 

 

今日は区切りがいいのでこの辺でバイバイ

 

 

なんでオススメじゃないんだろう?とても不思議です。なぜなら、昔先生に「犯罪者になる人とならない人の家庭環境ってどう違いますか?」か、「どうしたら犯罪者になりませんか?」だったか、似たような事を質問した事がある。なぜこの質問をしたかというと、先生のお話を聞けば聞くほと私が先生がお話しされる刑務所にお勤めの方達の思考とよく似ていると思うから。私も縁があれば刑務所にお世話になっていたなぁと思う。なので、どういう家庭環境で育った場合、私のようにならないのかを知りたかったので聞いてみた。

 

すると先生は「幼少期の時に、美しい花をみては美しいねとか、情緒豊かな言葉を浴びて育てる」と仰っていて、やっぱりうちの育て方と全く違うなぁと思う。なぜ違うかとわかるかというと、私が幼稚園児くらいの時の家族の会話がテープレコーダーに録音されていて、その普段の両親の会話や私に投げかける言葉は酷かったから。確か中学生の時に聞いたと思う。内容を覚えていないが”子供の私にそんな事を言わせるなんて。。。”って酷く傷ついたのを覚えているので、先生が仰る情緒豊かな言葉の中で育ったのではないのは確かだ。悲しいかな両親がお互いを罵る言葉しか思い出せない汗汗汗

 

 

そんな私も、ここ最近ようやく桜を見ては綺麗だと表面的ではなく深く思えるようになった。自分が話す単語も変わってきたような気がする。

 

今日はどんな事に綺麗だなぁと自分が感じるのか楽しみです。