昨日、安井れい子さんが東京で仏教のお話会をされ参加させて頂きました。ご自身の体験をオープンにお話をされていただけでなく、仏教を学びどのように変化されたのかを法話を交えお話されていました。色々盛りだくさんのお話会で、その中の1つに諸行無常をお話しされていました。
諸行無常=変わらぬものは1つも無い
私がこの言葉を知ったのは、たぶん2016年6月の奈良合宿の時だったと思う。私の部屋にはその時配布された諸行無常のお話しが書かれている紙が額縁の中に入って飾られている。
変わらぬものは1つも無い。そんな事は知っていた。瀧本先生から習う前から知っていた。たぶん、小学生でも知っていることだと思う。ただ、私が知らなかったのは大きく分けて2つある。1つは、それが諸行無常という言葉ということ。もっと小難しい事を表現している言葉だと思っていた。
あと1つは、自分は変わるのに周りは変わって欲しくないという考えが自分の中にあっるという事。私の中であまりに当たり前すぎて先生からお話を伺うまでは全く気がつかなかった。
私もこの歳なので多少恋愛を経験してきている。いつもうまくいかなくなるのは、相手が言っていることが変わってくると、私の中に【嘘をついてはいけない】というルールがあり、そのルールに相手が触れるんでしょうね。だからいつも「この前と話が違うんだけど?」と、お得意の質問ではなく詰問で相手に向かっていく。当然私は悪く無いと思っているので相手が謝るまでそれが続くというのが繰り返される。書いていて思うが、よく私と付き合ったなぁと思う。相手の人は偉かったなぁと思う。
さて、話を戻して合宿の時にお話されていたのが、「自分は変わるのに周りは変わって欲しくないと周りに思うでしょ?」と聞かれ”もちろん。いい事は変わってほしくないし、嫌な事はガンガン変わってほしい”と思いながら聞いていた。そして、先生が例え話で、確かご夫婦の会話をお話しされていた。「『結婚する前はあなたはこうだったのに今は。。。』と奥さん、旦那さんに話をしていませんか?一番変わったのはアナタなのに
」と、会場は爆笑の渦だったが私は冷静に聞いていた。”確かに、私の心が変化しているにも関わらず、相手には変わってほしくないと思っていなぁ”と。相手に期待していたなぁと。まさに私の恋愛がそうだったなぁと。そして、こうも思った。その変化を受け入れられるような人に私はなれるのだろうかと。。。正直難しいなぁと思った。だって相手に変わってほしくないって期待しちゃうものね。
例えば私の両親だったら、私が幼稚園までは優しかった記憶がある。私が小学生の頃マンションを買い、そこから一変したように思う。娘の私とすればいい思い出の両親のままでいて欲しかったと思うし、それが叶わないとわかると今度は憎しみへと変わっていく。。。その心の変化をどうしたらいいんだろう。。。これはもっと学ばないといけないなと思い今に至る。
私の多くの苦しみは本当の意味で諸行無常を理解していない事にあると思う。けれど、先に学んでいて良かったと思ったのは、会社が吸収合併した時。私の職場はすごく働きやすくてこの状態がずっと定年まで続いてほしいと思っていた。こんなに私の思い通りになる職場はなかった。それでいて高収入。それが突如吸収されることとなる。もう激変。今まで私がルールだったのが通用しない。当たり前といえば当たり前だが、学ぶ前の私なら職場で発狂していると思う。が、学んでいるので”何事も諸行無常”と心を切り替えることができた。仏法を学んで1年後の出来事。もしかすると3秒くらいは発狂したかもしれない(笑)でも、3秒で済んだというのも私の性格からすると凄いこと。なぜならその出来事に執着していないということだと思うから。
いま楽しく転職活動ができるのは諸行無常を知ったおかげだなぁと、昨日れい子さんの話を伺っている時に思ったので今日ブログに書いてみました。転職にあたり書類の作成方法など教えていただきました土濱さんと庄司さんありがとうございました![]()
ラジオ内容のブログない時は本当に困る。何を書いたらいいのかわからないが、れい子さんのおかげで書く内容が決まって良かったです。
昨日の講演風景

