瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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http://www.radiokishiwada.jp/simul/
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昨日の涅槃寂静のお話の続きからです。
先生:「煩悩から何から全て手放すと静寂になる。これが本当の幸せといっているの。人が言う幸せ、こんなのが出来たら幸せ、美味しいものが食べれて幸せというのは仏教からいうとそれは幸せではなく刺激という。」
全員:「![]()
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」
先生:「刺激が終われば虚しいからまた次の刺激を追うし、その刺激を追いかける事を人は幸せって言っている。もちろん楽しいしね。確かに幸せだと思う。でも、普遍なる幸福と仏教はいうけどそれは普遍なる幸福ではない。
本当の普遍なる幸福というのは<何もない。みんな一つだった>っていうあの静寂。まるで宇宙の静けさを仏教がいう静けさで、その状態に心をもっていけるよ。では、それはどうするの?瞑想でです。」
年美さん:「深い
」
美千子さん:「こういう話を知らないで一生過ごすのとでは全然違いますよね?」
年美さん:「全然違う。」
先生:「みんな、繋がっているという事の認識のパイプの太さが大事。」
年美さん:「私は頭だけで”あ、繋がっているんだな”って思っているだけで、本当にそれが日常の中で実践でイメージできているかというとできていないと思います。」
先生:「そんな事ないよ。言葉で発して目で見て会話してるじゃない?だって心の深いところで”お腹すいたなぁ”って思ってる。みんなに伝わってるでしょ?」
全員:「伝わってます
」
先生:「違う違う、そういう事じゃない
繋がっているということが、自分自身の中に浸透しているしてないじゃなくて、わかっているという事で、ほぼほぼ十分ですよ。
きっと、小さな小さな”本当に繋がってるんだ”って、今更ながら目から鱗、頭では何回も聞いてきたけど”本当だった”って信じるを超えてそういう世界だったんだっていう、また違う気づきで愕然としてしまう衝撃でそのことを理解したらもう戻らない。」
トヨさん:「そういう瞬間訪れますかね?」
先生:「さぁ
」
全員:「![]()
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」
先生:「絶対あると思う。そういう繋がっていたっていうのは、もっと小さいところから気づけるんだけどね。本当に気づいたら電気流れるくらいの衝撃が来ると思うの。残念がらそういう時って多分苦しい時なの。」
全員:「・・・」
先生:「多分苦しいとか限界まで追い込まれている時とかに、ハッと救われた瞬間の人の思いによってとか、グッと引き上げられた瞬間とかに、こういうことなんだっていう神秘体験っていうのかな?繋がっているという事を立証するような具現化された神秘体験をすると”あぁ、繋がっているんだ”って体験する。」
今日は区切りがいいのでこの辺で![]()
この頃ラジオで私が苦手が<全ては1つ繋がっている>という話題がよく出てくる。その度になんでかわからないが”嫌だなぁ”と思ってしまう。きっと繋がるのが怖いんだと思う。繋がってしまったら、人の喜びにも繋がれるかもしれないが、人の悲しみや苦しみが自分に流れ込んできて自分の感情が制御できなくなると思っているからだと思う。
と、いうことは自分が悲しみや苦しみを抑え込んでいるからそう思うんだろうと感じるので、繋がっている事に興味があり知りたいのであれば、やっぱり自分と向き合わないとダメなんだなと思う。
そして、先生がそれに気づくのは苦しい時や限界まで追い込まれた時と仰っていたが、先生の人生を伺っていると人の20人分くらいの経験をされているので、そこまで経験しないと体験できないのかなぁとか、私体験する前に死んじゃうんじゃないかなぁとか思いながら聞いていました。
嫌な思いをせず体験する方法はないのかなぁと、楽したい私は思ってしまいますね。。。