と、瀧本先生が一昨年のクリスマス法話会でお話しされていた。正確には、不幸を幸せだと思っている人は、自分の不幸話をするとに笑顔で語るというお話をされていた。

 

初めて聞いた時”自分のことじゃないな”と瞬時に思った。そして、そんな人どこにいるんだろう?私の身近にはいないなぁと思っていた。なぜなら、私も含め私の周りは自分の不幸話を話すときは笑顔ではなく、怒りまたは悲しそうに同情をひくような話し方をするからだ。笑顔で話す人はいないなぁとその時は思っていた。

 

多分、先生は私が不幸を幸せだと勘違いしている人間だと気づかせるためにお話してださっていたと思うのだが、当時の私は全くピンときていなかった。が、今までずっと熱く語っていた親の悪口を言わなくなったあたりから、”そういえば、親の悪口を言っている時怒りながら話していると思っていたけど、怒るというより得意げに話していたかも!?”と思う事があり、そう考えると得意げ≒笑顔となり、”あれ?ひょっとして私のことかしら?”と思うようになった。確かに自虐ネタは好きだ。

 

 

 

そうすると、今まで直感通りに生きてきて、私が感いることや思い通りにしてきたことは全て正しかったと思っていたのに”もしかして今までの人生は間違っていたのかしら?”と思うと、自分の直感を指針として生きてきた私としては、何を指針とすればいいのだろうか?と分からなくなってしまった。

 

 

 

だって、不幸を幸せだと思っているのであれば、私は不幸になる方を直感で選ぶ癖があるということ。今まで正しいと判断して行動してきた事は逆だったという事なのだろうか?例えば、昔別れた彼氏と別れなかった方が良かったのか?とか今転職活動をしているが本当はしないほうがいいのか?とか、逆に悩むようになってしまった。。。

 

 

 

心が温かくなる方を選ぶ

 

 

 

と、先生は仰っていた。

 

 

 

あぁ、ダメだ。普通の人が簡単にわかるこんな些細な事がわからない。心が温かくなるってなんだろう?スッキリするならわかるのに。。。例えば転職活動をしているが、心が温かくなっているかどうかもわからない。ただめんどくさいなぁとか、年齢が高い割に経験がないから苦戦してるなぁとか、マイナスな事しか感じないし、じゃぁ、会社に残るというのもいつリストラされるかわからない不安の中で勤務するのも嫌だしなぁと、どっちが心が温かくなるかわからないと思っていた。

 

 

でも、仕事でチームリーダーを去年の5月からやるようになって、転職活動がどうこうという話ではないのかな?と思い始めた。クライアントにこういう文章で書いた方が誤解なく伝わるかなぁとか、そういう事を考えるようになった。今までの私は合理性を重んじていたので、起承転結がはっきりして文字数の少ない事がいい事だと思っていて、相手にどう伝わるかという事は考えていなかった。逆に、世間で思いやりがあるといわれる文章がとても嫌だった。私からすると文章が長いはポイントがボヤけていて、私が一体何をしたらいいのかわからないからだ。私が行間を読むという事が出来ないからだと思う。空気も読めない私は行間を読むのも難しい…

 

 

そんなこんなで、私の書くメールの文章が変わってきた事もあり、今ではクライアントとのトラブルもかなり減ってきた。以前は、怒りながら乗り込んでくるクライアントも居た。相手が私のメールを受け取って心が温かくなる文章は書けないにしろ、心が緊張するような文章を書くのはやめようと思ったからだと思う。

 

 

心が温かくなる事が自分でわかるようになったら、それを他の人にもできるようになると思うから早く体験したいなぁと思います。他の人はどういう時に心が温かくなるんだろう?今度友達に聞いてみたいと思います。