瀧本先生のブログをご覧になられている方はご存知だと思いますが、先日先生の門下生の小林美千子さんのデビューコンサートがありました。運のいいことに、最前列で拝見させていただき先生と美千子さんの勇姿を拝見することができました。その時感じたことを忘れないようにブログにしたためたいと思います。(主役の小林美千子さんのブログはこちら)
さて、私はこれまた運のいいことに、美千子さんの仲間として一緒に瀧本先生の仏法を学んでいる。今もだが私のような人間が美千子さんのような才能溢れる方と仲間と言っていいのだろうか?といつも思う。これは美千子さんだけではなくて、私を仲間だと表現してくださる方にいつも思う。また、特に先生が美千子さんの事を「すごい才能の持ち主」と表現されるからよりそう感じるんだと思う。なので、自己肯定感の低い私としてはいつも東京から大阪に遊びに行った時など、美千子さんや大阪の方々と一緒に食事を囲んでいる時に居心地が悪いというか、いつもソワソワしていた。自分が場違いなところにいるんじゃないかといつも思っていた。
美千子さんのデビューコンサートは、瀧本先生が仏説を説きその後、美千子さんがその仏説からイメージした曲をピアノで演奏するという形式で、ピアノが演奏されている約5分間はプロジェクターに先生が作成された映像が映し出され、その映像には先生自身が仏説と出会った時の想いが綴られていて、眼と耳いや、すべての感覚で感じれる空間になっていたように私は思う。
随喜功徳
演奏の中の1曲。相手の幸せを自分の事のように喜ぶ事。先生が曲紹介の時に、また私の苦手な人は繋がっているので、相手の苦しみは自分の苦しみ、相手の喜びも自分の喜びとお話をされていた。まだ私は頭ではわかっていても理解できていない。知ってはいるがわかってはいない。そんな気持ちの中で美千子さんが作曲された曲をきいた。私に理解できるのだろうかと少し不安になっていた。曲が始まり、先生の想いが綴られた文字がプロジェクターに映され、その文字を見てハッとした。
自分より不幸な人を探してホッとする自分がいる
と、書かれていたから。私だ。身近な人が幸せになると、私の場合は不幸な人探しをするだけでなく、そういう人を見つけると、やかましいくらい「こうした方がいい」だの「あぁした方がいいだの」他人の人生に口を挟むようになるか、往々にして起こるのは周りを見渡すと私より不幸な人が見当たらず、よりどん底を味わいよりイライラをしていた。
でも今は違った。それは、もともと美千子さんと出会った時に私よりも素敵な人だと思っていたからじゃないかと思った。だから変化をしていないんじゃないかなぁと思ったが、しかし、昔の私なら”次にデビューするのは私よ!!”とか、わけのわからない闘争心のような、嫉妬のような何とも言えない感情が噴き出していたと思うが、いま自分の感情はどうなっているか感じながら聞いていると、”この演奏をするためにどれだけ練習されたんだろう”とか”先生や美千子さんの想いを私はどこまで感じる事ができるんだろう”とか、そういう事を気にしている事がわかったので、昔と変わったんだなぁと思う。
聞き終わった後に気がついたのは、以前もこのブログに書いたが私は不満や愚痴をネタに人と会話をするので、結果的に友人と会話をするのはそんな内容になる。だから、友人が幸せになってしまうと話すネタがなくなってしまうので、みんなが幸せになるのが怖かったんだと思う。そう、話すネタのない価値のない私から。だって、不満や愚痴しか話せないんだもの。(話せないだけでなく、人の話も聞かないからそりゃ本当に離れていきますよね)
と、同時に私が幸せになるのも怖い。。。だって、話すネタがなくなるから。。。
あぁ、私は寂しがり屋だったんだなぁと美千子さんと先生の法話で気づく事ができました。寂しがり屋を隠すために気が強いんだなぁというところまでは気づきましたが、その次はどうしたらいいんだろう?この気の強さを爆破するか掃除機で吸い取るような事が仏法でできるのだろうか![]()
それにしても、アホみたいな考え方をしている自分がいて本当にビックリだ
こりゃ、幸せにはなれないよねーと、自分のことながら他人のように考えてしまう今日この頃でした。
デビューコンサートは満員でした^ ^
美千子さんと私✌️

