瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。
http://www.radiokishiwada.jp/simul/
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これから後半のお話がスタートです。
先生:「人を好きになるとするじゃない?人を好きになるというのは変なLoveという意味ではなく、その人を愛しく思うというか大切に思う時って、その人のどこを見た時に自分の思いとか切なさとかが一番高まる?」
全員:「どこだろう
どこでしょう
」
先生:「私の質問が悪かったかな?私はとにかくその人の手なのよ。なんとなく手を見てその人の事を”私はその人の事を大切に思っているんだなぁ”って思うのよ。その事に気づくタイミングって手を見た時なの。」
全員:「え
手なんですか
」
先生:「その人の手を見た時にある感情のモードが出てきたら”あ!この人の事を大切に思っているんだな”って思うの。もちろん、みんなが大切なのよ。みんなが生きていくという事に関しての”あぁ、この人は大切な人だ”っていう自分の領域に入ったて気づくのが手なのよ。」
トヨさん:「それはわかるような。。。」
先生:「だから、手の絵をたくさん描いたことがある。仏様が苦しんでいる世上に対して手をパッと差し伸べている感じを木炭で描いたんだけど、手を差し伸べている感が欲しかったから自分の手の写真を見ながらデッサンしたら自分の手の絵になっちゃったことがあるの
仏様の手ってもっとぷっくりしているの![]()
みんな気づいてない。自分が『いま苦しい』と言っている人はいっぱいいるけど、よく見たら差し伸べてくれている手って絶対周りにあるんだけれどもその手が見えてるか?って思うの。
あなたの手だってそれができるはずなのに、人ってなんで人を傷つけるためにその手を使ったり、人のものを取ろうとして盗もうとしてその手を使ったりする。使い方を間違えてる。苦しい人の涙を拭いてあげたり、頭をポンポンしてあげたり、手をぎゅっと握って引っ張るために手は2つあるわけで使い方間違えてる。逆によく見たら自分に対して差し伸べてくれている手が目の前にあるから、その手をちゃんと見たら?
願わくば、悲しんでいる人の涙を拭いていってあげるような、そんな手でありたいよなっていう歌詞を書いていて、今度それに曲をつけて欲しいと弟子の美千子に頼んでいるの。今度私はそれを歌うの。」
全員:「聞いているだけで涙が出ます
」
先生:「収録中なのに二人とも泣いている![]()
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」
全員:「![]()
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」
先生:「感情が動くというのはすごく素敵なことで、感情が動いていない時ってどんな時かというと
悩んでいる時
なのよ。感情が1つのところに停止しているとずっと悩んでずっと苦しんで堂々巡りが始まるの。ずっとそこでグルグル回っている。感情をバッと揺さぶると”あ!私ってこんな気持ちだったんだ
”とか、私は寂しかったんだとか気づくのよね。だから感情が動くってすごく大事なの。
曲を聴いた後ジーンとなったりするでしょ?それは、たかが音楽を聴いただけ、それによって心が揺さぶられて気づきがあるから。」
話の区切りがいいのでこの辺で![]()
今日のブログに書いた美千子さんと先生のコンサートでした。仏法と音楽のコラボレーション。そのコンサートを聴くために東京から大阪へ。この感想は後日書きますが、仏法と音楽の融合がこんなにも素晴らしいものだというのは想像していませんでした。シットリとした曲を聴きながら、プロジェクターに投影される先生の詩のようなメッセージ。。。
大阪だけなく、各地に回って演奏されるとのことなので、一度騙されたと思って参加されるといいと思います。きっと心が爽やかになると思います。
私は絵画や音楽、体育のセンスが子供の頃からなく、彫刻や絵画を見てもなんと思わないし、ベートベンやショパンなどを聴いてもなんだかよくわからない子で、だったらお笑いのテレビを見ている方がよっぽど楽しいと思っている子で、それは今でも変わらないのですが、いつもなんでこんなに他の人と比べて感性が鈍いのかな?と思っていて、まぁ、この原因も貧乏な家庭に育って、本物が一つもなくイルミネーションと安物だけの家で育ってしまったからだと思っていたのですが、本当はそんなことはなく、ただ子供の頃から悩んでいる子で、かつ寂しいというのを感じないようにしていただけなんだなぁというのが、今日のコンサートとラジをを聴いてようやく受け入れられたような気がします。
前なら寂しい人なんて言われたり、自分で気付いたりしたもんなら怒り狂っていましたが、今は落ち着いているのでどうやら成長したようです![]()