瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
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今日も心を観にいくお話です。
先生:「心の鍛錬ができるのかなぁって疑いを持っちゃうと思うのよ。自分の心を自由自在に観にいく事ができる人って特殊な人がするというかマニアックな人、例えばスピリチュアルの人がやることなんじゃない?って思っちゃうけど、練習したら誰でもできるの。でも、練習がいるというところが、多分ピンと来ないのよ。心を観る事に練習がいるの。」
年美さん:「先生がいつもされていることですよね?これが嫌だなぁって思ったら必ず好ましい方を見て、それを行動に移されるじゃないですか?それを私はいつも出来ないって思ってしまうんですけど、行動ができるようになるというのは、その瞑想で先生が鍛えられているから、見つけたらすぐに行動に移せるっていうことですか?
いま私は嫌なところで止まっちゃっているんです。なので訓練したら行動できるようになるんでしょうか?好ましい方を探しにいく事を忘れちゃう
なので、訓練したらすぐにそれを観に行けるようになるってことですか?」
先生:「年美ちゃんの得意な料理と一緒だと思ったらいい。例えばお料理を作っていて”出来た
”って思って仕上げの味見した時に”マズイ
”って思ったら、次作る時どうする?」
年美さん:「調整します。」
先生:「でも、どこで失敗したかわからなかったらどうする?」
年美さん:「適当にどこかで辻褄を合わせるような事をすると思います。」
先生:「だよね。つまり仕上がった感が自分が”嫌だ!”って思うと、どこかの何かに失敗があるって考えるわけでしょ?”そうか!ここでもう少しアクを取らないといけなかった!”とか、それが分かってくると次はそれを取り除くよね?」
年美さん:「はい。もちろんです。」
先生:「例えば、年美ちゃんはクロスステッチをします。遠目から見て”あれ
”自分では望ましくない見栄えになってる。ここの2行色を間違えてる!ってなると、おそらくそこの色を排除して好ましいものを足して”良かった
”にするよね?っていうように、我々って全てにおいて”好ましくない”って思ったら、
原因を追求して原因がわかったら好ましいものと差し替える
っていう事を全部やっているわけ。なのになぜ心はしなんですか?って思うの。」
年美さん:「してないですね。。。本当に![]()
![]()
」
先生:「好ましくないものを感じていたら、”何が好ましくないんだろう?”っていうこのモヤっとしたのを観に行って”これか!”って見つけてそれを取り除く、取り除くだけじゃなくて好ましいものと差し替える。」
年美さん:「差し替えまでする!」
先生:「それが真解学なの。」
年美さん:「なるほど
心もちゃんと差し替えていく。」
先生:「そういう事なんですよ。」
トヨさん:「お話を聞いていて自分が鈍感だったなって思うんです。」
先生:「何に鈍感だったの?」
トヨさん:「自分の好ましいもので全てを埋めようとする意識が先生と比べて足りないなぁって思います。」
先生:「じゃぁ、これはここがちょっと嫌なんだけどなぁっていうのには気づく人なの?」
トヨさん:「気づくんですけど”そんなものでしょう〜
”って思っている事が多いです。」
年美さん:「私もそうです。」
トヨさん:「でも、先生はそこを必ずとったり付けたりするじゃないですか?いろんなもの全てに対して。そこに”先生はここまで自分が好ましいを追求されているんだな”っていつも感心しているんです。」
先生:「それってちっちゃなストレスじゃない?」
トヨさん:「そうですね。小さいので放置しています。」
年美さん:「小さからこそ我慢できるなって思っちゃうんです。」
先生:「(||゚Д゚)ヒィィィ!(゚Д゚||)」
年美さん:「大きなストレスだったらどうにかしようと思うんですけど、小さなストレスだから”仕方ないかな”とかなるんです。」
先生:「(ノ゚⊿゚)ノびっくり!!」
今日は時間がないのでこの辺で![]()
自分の嫌だにフォーカスするのではなく、自分の何が好ましいかを考えるですが、私の場合嫌いな人や苦手な人がいなければ好ましい状況になると考えてしまうし、今以上にお金があれば心に余裕が生まれるだろうとも思うし、そういう心がエスカレートして犯罪が生まれるような気がするので、何が好ましいのかの見つけ方の訓練をしないと、私の場合は未来の犯罪者になっちゃうなぁと思いながら聞いていました。
今日は早めに出勤しないといけないので今日はこの辺で![]()