瀧本先生のWebサロンで、人の意見を重視するあまり自分の意見がわからなくなり、その事を先生に相談された方の動画がアップされていました。
1度目動画を見たときは、自分とは真逆の方なので、自分とは関係ないなぁと思っていました。なぜなら、私の場合は自分の意見重視で他人の意見に合わせないからトラブルになる事がありますし、いつも何かを判断しなければいけない時は、本当にその選択で後悔しないかを考えてから発言するようにしているので、他人と意見が一致したとしても、それは偶然の一致で相手が私に合わせたわけでも、私が相手に合わせたわけでもない。というのが私の意見。
そういえば、中学の時に引っ込み思案の子がいて、いつも人の意見に合わせている人がいて、なんでも頷くだけで一緒にいてつまらなかったので、「なんで自分の意見を言わないの?」と聞いたら「別に。。。」みたいに言われたので、「私はそれは死んでる人と同じだと思う。自分の意見があるなら言わないと、意見を殺すことになるし言わないなら死人と一緒だから生きているなら意見を言った方がいいと思う。」と確か私が言って、その後その子が豹変したような気がする。。。私は自分の意見を持っている人との会話が好きなので、豹変後その子とよく笑ったような気がする。
2度目動画を見た時は、決断をするという言葉が心に刺さった。1度目は私の悩みとは逆な方のお話なのでボーッと興味なく聞いていたが、私も同じだなぁと思うところがあった。
まず、仏教でいうところの決断とは文字通り決めて断つこと。何を断つのか。選択しなかったもう一つの可能性を断つこと。Webサロンで先生が仰っていた例え話は、帰り際上司に残業を頼まれた。その日は結婚記念日で早く帰らなくちゃいけない。でも、仕事の責任上残業しなくてはいけない。。。悩んだ挙句にその人は残業する事を決心した。と同時に、早く帰って結婚記念日を祝うという思いを断った。そう決断した。
私は、仕事上やプライベートでは自然にこの事ができていたんだと思う。そして、人から何かを言われたとしても言われるのを想定して決心し、決断をしていると思っているので、この方の動画を見た時にイマイチピンとこず、”そういう方もいらっしゃるんだな”程度にしか思えなかった。しかし、本当にそうだろうか?
違かった。何が違ったのか?
またまたここで登場するが両親のことに関しては違かった。私を苦しめていた思考の1つに、この親じゃなかったら私はもっと幸せになれたのに。。。という、どうにもならない事で苦しんでいた。もし、のどかなTVドラマのような、貧乏でも家族みんなが協力して笑顔の絶えない家庭で育っていたら、きっと私の価値観や人生は変わっていただろう。この家に生まれなければよかったのに。。。
と、いう思いをしっかりと心に握り今まで生きてきた。誰もどうすることもできないのに。。。他人からすれば、「もう生まれちゃったんだからそんな事考えたってしょうがないじゃん!」と気軽に言われても仕方ない事なのに、そう言う人がいるとその人に向かって吠えるような日々を過ごしていた。
そう、決断できていなかった。先生のたとえ話の方と一緒で、残業しながら”残業がなかったら早く帰って結婚祝いを二人で楽しめたのに、、、”って言っている人と全く同じだなぁと思った。なんと生産性の悪い人生を歩んでいたのか![]()
瀧本先生がWebサロンで「残業がなかったら早く帰れたのに、、、と思いながら仕事をするのと、今日は2人の未来のために残業すると決めたのとでは仕事の質が違う。」と仰っていた。本当にそうだなぁと思った。”こんな家に生まれなければ良かった”と思いながら生きているのと、”もう生まれちゃったんだしそれより自分のこれからの人生を大切に”と思った方が人生の質が全く違うように思う。
この歳になるまでこんな簡単な事がわからなかったとは。。。薄々感づいてはいましたが、私が今まで私の人生不幸だなぁと思っていたのは両親のせいではなく、私がこんな考えに取り憑かれていたからなんだなぁと思います。
瀧本先生の仏教に出会って約3年。長いような短いような。。。自分の呪いのような考え方がお祓いできて良かったです![]()
私のブログだけでは伝わらないところもあると思いますので、ご興味のある方はぜひサロンに登録して見てください。
動画で何度も観れますよ
詳しい登録方法はこちら
