物事を決められない人の事だと私は思っていた。例えばレストランに入って中々メニューが決まらない人や、自分の意見で物事を決めるのではなく、人に意見を求めてから決める人などの事を指す言葉だと思っていた。
瀧本先生の勉強会に参加して多くの気づきや驚きをいただいているが、その中の1つにこの今まで使っていた言葉の本当の意味を知る事だ。この優柔不断に関してもそう。
では、優柔不断とはどういうことか。それは、、、
一回決めても決め損ねたもう1つの方にずっと未練を残す人のこと
な、なぬ!Σ(・□・;)
びっくりした。そ、そんな意味だったとは。例えば、結婚しないと決めたけど結婚したほうが良かったんじゃないかとか思うこと。
私は全く優柔不断じゃないので1度決めたら選ばなかった方のことは考えない。なのでいつも優柔不断の方の気持ちがよくわからないというか、そういう人がいると逆にイライラしていた。でも、なんで自分は優柔不断じゃないのかなぁとこの機会に考えてみると、小学生高学年くらいからすでに優柔不断じゃなかったような気がする。
私が優柔不断じゃないのは未来の自分に聞いているからだと思う。これは私にとって凄く効果的なやり方で、小5の時に結婚しないと決めたのだが、その時も未来の自分に聞いてみた。”もし、私が結婚しないと今決めてその通りに生きたら未来の私は後悔するのか。もしお金を稼ぐ力無くて野垂れ死するようなことがあってもこの判断で後悔しないのか”と。。。すると、どんなにイメージしても、好きな事をして一人で生きていた方がいいという結論に達したので、一人で生き抜く力をつけることに専念しようと思って今がある。
だから、仕事の転職もそうで”もし転職して自分が思っているような結果にならなかったとして、転職しないほうがよかったと思わないのか?それでも転職したいのか?”とか。とりあえず未来の自分に聞くようにしていて、それで”後悔しないし文句も言わない”となったら行動することにしている。
でも、稀にやっぱり転職の時期を間違えたなぁとか思うことがあったとしたら、”でも、あの時に決めたからな
”と思い出して気持ちを切り替えるようにしている。
なので、きっと優柔不断ではないんだと思う。ただ弊害として一度決めた事を中々変えられない。一度考えが固定してしまうとその考え方に取り憑かれたようになってしまう。私はこれを頑固だと思っていたのだが頑固ではなく
気が強い
という事も、つい先日習った。話が脱線してしまうが、私は自分は価値のない人間だと思っている。その考え方を曲げない。曲げたいけど曲げれない。私はこれの現象を自分がバカだからだと思っていがどうやら違うらしい。気が強いとそうなるようだ。うまく書けないのだが、その話を伺って最強に気が強い私は納得した。自分がダメ人間だから変われないんじゃなくて、気が強いから変われない。
スッキリ納得![]()
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気の強さはこんなところにも影響するのかと凄くビックリ![]()
ご自分が気が強いと思っている方いかがでしょう?当てはまる事ないのですか?変わりたいのに変われないなんて私だけかもしれない(笑)
先生は仏教だけでなく言葉の本当の意味も教えてくださるので本当に楽しいです![]()