瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

下差しこちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。

http://www.radiokishiwada.jp/simul/

 

 

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今日は昨日のご相談に対する回答の続きからです。

 

 

 

先生:「人は得ることができるけれども得たものを手放すって極端に恐怖を覚える。私が仏教を学んできた中で、今まで切るべき縁と繋ぐべき縁。繋いでおくべき縁。または手放していくべき縁。私はこの2つの縁を明確に持っているんですね。これがいいのかどうかは横に置いておきますね。間違っていると思われる方もリスナーの方の中にはいらっしゃるかもしれないんですけど、これは瀧本論なんですけどね。

 

お釈迦様が今まで色んなことを仰っていた事を、とてもシンプルにまとめてみた結果。こういうモノのご縁とは繋がっておかない方がいいな。こういう方々とは繋がっていくべきであり、さらにそういうご縁を探していくべきであると思っている、その両極性を持って決めていることがあるんです。

 

それがこのご質問の答えになるかどうかわかりませんが、東洋思想の難しいお話をしようと思えばできるんですが、個人的にお伝えするとすれば、まず、私の縁が入れ替わっていくといいますか”ちょっと違うかな?”と思ってしまうのは、とてもシンプルなんですけど

 

 

 

挨拶ができない人

 

 

 

です。その人は年齢関係なしに”あ、もうお付き合いするべきではないな”って思うんですね。ちゃんとした場できちんと親しい仲にも礼儀があって挨拶をきっちりする人が絶対大切であり、挨拶というのは人が出会う瞬間。例えば朝起きたら起きたで『おはよう』って家族であっても、友達であっても挨拶する瞬間というのは、その日初めて会う瞬間に挨拶ってするんですよね。

 

昨日会っててもまた今日会うんだったら、また今日挨拶をする。会う瞬間と別れる瞬間に挨拶というのものが存在しているんですよね。会う時とその他の時間を共有して何かを成した。そしてまた明日会うかもしれないけど『今日ありがとう。お疲れ様。気をつけてね。おやすみ。』みたいに最後の挨拶もそう。出会った時と別れる時って阿吽の呼吸。これって人生の事です。それができない人。正しい言葉で正しいタイミングでちゃんとできない方は、私は基本的に縁を切ってきました。

 

それと、もう1つは身体的な特徴を茶化す人ですね。『こういう所バカよね爆  笑』とか、行動的なところを茶化すというのは、いじるというか、キャラ的にいじっていいと思うんですけど、身体的特徴を茶化す人って稀に大人になってもいるんですよね。逆に言うと茶化すというのは、悪く言うというだけでなく良い身体的特徴で人を評価するっていう人もあまり近寄らないようにしているんです。

 

単に憧れの場合もありますよ。『あの人はスタイルいいからいいよね音譜』とか。極端な話『どっか男前の人いないですかね?』ってこの発言ですね。アレ系瀧本すごく苦手です。男前って心の事じゃなかったの?って、たまにそういう事を言う女子がいます。男性は性的動物ですから女性の身体的特徴を言い続けるのはいいのかなぁと思うんですけれども、そういう事よりもマイナス的な身体的特徴を茶化す、そういう方とは表面的なお付き合いしかできないですね。基本的に私の心を明かすことはないかなって思います。そういうご縁は自分の中では、ボーダーラインを引いてお付き合いをしています。基本的にお付き合いをしない。

 

 

あと、繋いでおくべき縁というかこれからもどんどんと繋いでおきたいと願っている縁というのは1つは心配をして叱ってくれる人ですね。前提は心配をしてです。心配なく叱られたら怒られてる感じになるかもしれないんですけど、私の素行や行いを見て心配をして叱ってくれる人がおられる。そういった方は絶対繋いでいきたい。何があってもその方を手放したくないって思うご縁ということです。

 

あともう1つは、認めない/否認するっていう否認力のある人を私は繋いでおくように、繋がっていてもらえるように努力をしています。否認というのは防衛機制の1つでマイナスに働くこともあるんです。でも、今私が言っているのはプラスに働く面のことでちょっと心理学的な話をすると、あった事をなかった事にしてしまうっていう事も1つの自己防衛力なんですね。

 

例えば、愛する人が亡くなった。亡くなったとしたら中々認められなくて実感が湧かなくて、つまり悲しみのどん底にいるはずなのに涙も出てこない。『だから、亡くなった気がしなくて。。。』っていうのも否認が働いているんです。自己防衛です。その事を認めないほうが自分が自分らしくいられる。それを認めると苦しみになってしまうから、認めないようにそれが無かったかのように、その情報を自分の中で受容に持ち込まないっていう、そういう自己防衛の反応があるんですね。そいうのも否認というんですけども、あった事をなかったことにしてしまう。

 

でも逆に、それはすごい大変な事があっても否認力をうまく使うと『それってどうでもよくない?』みたいにプラスに働くこともあるんですね。

 

私がこういう立場で、みんなの前ではやたらと楽しそうで毎日お祭り騒ぎみたいに見られる事が多い。実際本当に毎日お祭り騒ぎなんですけどね音譜 だけど、どうしたらいいかなぁって悩む事があるんです。悩み苦しむわけではないですが、悩み悩み…さぁどうする?って選択肢がいっぱいありすぎて悩む場合と、選択肢が全く出てこないという場合と2つの悩みがあって”どうしたものかぁ汗”と悩んだ時に、私が唯一心を開いている人が2人いるんですけど、だいぶ目上の男性の方なんですが、その方に『今から会いに言っていいですか?』って言って会いに行くんです。時間を割いてもらうんですけれども、必ず何を言われるかわかっているんです。

 

 

 

『瀧ちゃんさぁ、それってどうでもいいやん!!

 

 

 

って、必ずそれを言われるってわかりつつ、想像しただけで”あの人だったらどうでもいいって言うだろうな”って100%わかっているんですけども、『それどうでもよくない?』って一言いわれた段階で”やっぱりそうでしたよね!”ってスッキリして帰ってくるっていう、そういう方がいてくださって、その方の否認力に何度も救われてきたかって感じですね。。。」

 

 

 

 

時間がないのでこの辺でバイバイ

 

 

私は先生が相談される方は先生の師匠かと思っていたのですが、そうではない事に驚きましたし、2人もいらっしゃるとはすごい人脈の広さだなぁと思います。

 

 

私は挨拶がすごく苦手で、リズム感もないのでタイミングがよくわからないし、話しかけていい雰囲気なのかもわからない時があるので、会釈だけで終わらせてしまう事があります。多分、先生とお会いした時も挨拶はしていなかったように思うので、先生から縁を切られなくて良かったなぁとラジオを聴きながら思いました。

 

挨拶というアクションを今後の縁を繋ぐかどうかまで大事に考える基準とされていると知らなかったですし、私の中ではそこまで大事な事という認識がなかったので、挨拶の仕方に気をつけたいと思いましたね。