先生が新たに真解学のクラスを新設されるとブログにアップされていたので、真解学を学んで感じた事を書きたいと思います。

(先生のブログはこちら

 

 

私は真解学を学んで約2年。私は本当にこの学問に出会ってよかったと思っているし、これからも学んでいきたいと思っている。学んだ理由は3つ。1つは、先生や既に習っている方から「本当に難しいよー。大変だよー。」と何度も言われ、逆にそう言われるとやってみたくなるというか、食べたくないのに、食べたらダメよと言われると”一口くらい食べたっていいじゃないプンプン”って、逆にムキなる性格なので、余計に興味が湧いたというのもある。正直”こんなに言うのは逆にやれって事かしら?”と思った。

 

 

2つめは、大変だという割には学ばれている方が楽しそうに見えるのと、学んでいる方に「私のことも鑑定してください」って気軽に言ったところ、語気を強めに「真解はそんな気軽に鑑定する事できないからムカムカ」みたいな感じで言われたので、短気な私は”なら自分でやってやるわよプンプン”ってなった。

 

 

3つ目の理由が一番大きくて本当に自分を知りたかった。なんで自分がこんなに人と違うのかを知りたかった。なら、先生の鑑定を受けたらいいじゃんと思われる方がいらっしゃるかもしれないが、たとえ先生に鑑定していただいても聞いているうちに疑問が湧いて、そのことに気を取られきっと先生がおっしゃっている事の100%理解できない自信があった。なので、自分でなぜ私はこんな変な欠陥品のような性格なのかという謎を自分の手で解明したかった。

 

 

先生がブログや習う前に、よく「真剣に学んで」と仰っていて、心の中で”もちろんです。真剣に自分がどんな欠陥品なのか解明します”って思っていて、私は学ぶにふさわしい人だと疑いもなく思っていた。しかし、以前ブログにも書いたが、こんな気持ちのまま学んでいるため大きなミスというか問題を起こす。

 

 

 

そう、破門されたのである。

 

 

 

理由は簡単。自分の事だけわかればいいと思っているので、自分と関係ないところは覚えない。私以外の人を鑑定しようと思っていないので先生が暗記するようにと仰っていた課題の暗記もしない。先生が仰っていた”本気”と私の”本気”の違いが生み出した出来事だった。

 

 

先生がおっしゃる”本気”とは、

 

 

 

本気で苦しまれている人を救済するために学びますか?

 

 

 

という事で、私のように自分さえわかればいいという意味ではなかった。学ぶ姿勢と志を問われていた。私は志がなかったために前回破門されてしまった。あの衝撃的な出来事は私の人生の価値観を変えたいい経験だったと思っているし、経験して本当によかったと思っている。

 

 

 

今現在学ばれる方も、これから学ばれる方も私のような馬鹿な事はしないと思うのだが、もしかすると私のように先生が仰っている本気を勘違いされる方がいらっしゃるかもしれないとフッと脳裏を過ぎったのでプログを書いてみました。

 

 

あと10年以上学び続けないと暖簾分けさせていただけないと思っていますが、いつの日か私も人から相談されてその人が鑑定の2時間で少しでも笑顔になるような鑑定士になりますし、この学びに出会えた事が本当にラッキーだなぁって思いますチョキ