私が仏法を学んだきっかけを話をする前に、以前どんなセミナーに行っていたのかを軽く説明したい。
瀧本先生に出会う前、あるセミナーに3年ほど通っていた。そのセミナーは自己啓発の類のセミナーで、仏教というか禅をベースにした海外から来たセミナーだった。そのセミナーが目指しているのは、自分が止めている、または諦めている事、自分が限界だと思っていることを可能にするという類のセミナーで、私はそのセミナーで多くの自分の限界と勝手に思っている事を見つけチャレンジして、仕事で昇給するなど結果を残していた。
私の参加の仕方はどのセミナー会場でも、セミナー講師の言っている事を鵜呑みにできない人で、”なぜ”それをする事が大事なのかがわからないと行動できない人なので、セミナー会場で人一倍質問をする人だからか勝手に目立っていた。そして、どこでもそうなのだが、これまた勝手に、ただの参加者にも関わらずセミナー運営会社から役割を与えられチームリーダーのような事をしていた。そんな私が出禁状態になるのだが、理由はセミナー運営会社のルールを破ったからだ。
何があったのかというと、そのセミナーでは友人知人にお誘いして受講していただき、その人数で自分の成長度合いを測るというシステムだった。外からそのセミナーにお誘いするのはOKだが、その逆はNGでどういう事かというと、自分がいいと思った他のセミナーや商品などを勧めるのはルール違反となり、私はそのルールを破ってしまったので事実上出禁となってしまった。
昨日も書いたが、出禁となってしまった時はすごくショックだった。なぜなら、多くの時間をそのセミナーで過ごしていたし、知り合いはそのセミナーの人だったので、一気に人が居なくなってしまったように感じていた。いわゆる所属感が消えてしまった。またその時はチームリーダーもしていたので、ある程度の名誉欲が満たされていたが、それも無くなったので放心状態だったように思う。
そのセミナーは、私がチームリーダーをしていたという事でもわかるように、単なる受講者なのだが、ピラミッド構造で役割を与えられ、役割が上になればなるほど権限を持てるような組織体制で、私はすごくそれに違和感があった。なぜなら、そのセミナーを受けて間もない人の方が、逆にセミナー内容を理解し行動に移せる場合もあるし、逆に受講していなくても違う学びで多くの成果を取っている人もいるので、長く受講しているから偉いとか、多くの人に紹介したから偉いとか、そういうので人を判断するのはどうだろうか?と疑問を持っていた。企業なのでそうしないと運営がままならないのもわかっていたが、そもそも私のような人間をリーダーにしている方がおかしい。
なので、今度は序列のない参加者みんながフラットなセミナーや勉強会はないのだろうかと探していたところに、瀧本先生と法友のみなさんと出会った。とても新鮮だった。私が今まで行っていたところは、セミナー講師(ここで言うと瀧本先生)に気に入られようと躍起にある参加者や、参加者同士の嫉妬や妬みなど、セミナー内容と全く関係ない争いがあったからだ。でも、先生の周りにはそれがなく、みんな一緒の勉強仲間という位置付けで本当に同じ人同士がそこに居る感覚でとても居心地が良かった。
去年かな?先生にそれとなく今の事をお話したら、先生から『もしその経験がなければ、きっとエイリアンは自分がリーダーみたいな振る舞いをしていたと思うよ』みたいな事を仰っていて、”確かにそうだなぁ。私のことだからきっと、学んでいる期間が長いから偉いみたいな勘違い女になっただろうなぁ”と思い、あの無駄だと思った時間とお金も無駄じゃなっかったかも!と思ったのを覚えている。
先生の周りには、以前通っていたセミナーのような、表現が変かもしれないがセミナー講師から気に入られてたいと躍起になっている人や、受講者をコントロールしようとする方が本当にいないように感じるので、私からすると奇跡に近い学ぶ環境で、先生に以前お話したら『お釈迦様がそうだから』のような事を仰っていて、”お釈迦様すごい!”と本当に鼻息荒く頷いたいのを思えている。
本当に先生と法友の皆さんと出会えたのは奇跡だなぁと思う今日でした![]()