東京都内の少し薄暗い小さな会場で、瀧本先生が『自分の人生の中に法友を作っておくといい』と演台の上からお話され、その<法友>という言葉にすごく喰いついたのを覚えている。

 

多分、瀧本先生の講演会に参加して3回目ぐらいの時だったと思う。当時の私は、3年くらい通っていたセミナーで、私の振る舞いが原因で若干出禁のような感じになり、自分の生き方についての師匠が欲しいというか、なんかよく分からない生きづらさを解消しできる学びを探していた。また、当時は友達は数名いたが、多くの友と呼べる人はその出禁になったセミナーで知り合った人が多く、セミナーが出禁になったのをキッカケに、その友と呼んでいたまたは呼ばれていた人は、すぐに顔見知り以下の見知らぬ人となった。

 

なので、外的要因に変化があっても信頼感が変わらない友人関係を築きたいと思っていた。そんな風に思っていた中での先生の発言だったので、心に届いたというか印象的になったんだと思う。

 

 

 

『法友とは仏法を一緒にに学んでいる友』

 

 

 

 

なるほど!先生と一緒に勉強すれば友達ができるんだなロケットと頭の中がピカッと光った。さらに先生は続けて

 

 

 

 

『何か困ったことがあれば、法友に相談すると私と同じような回答が得られる』

 

 

 

 

ハッ本当に!!お得じゃないびっくり占い師が身近にいるようなものじゃないビックリマークこりゃぁ、作らないと爆  笑

 

 

 

しかし、困ったことに友達の作り方がわからない。。。学生時代でも孤立していたので友達の作り方がわからない。。。周りにいらっしゃる方は、私よりも年上に見える。友達と呼んでいいのだろうか??学生時代上下関係が大っ嫌いで帰宅部だった私は、上下関係のルールみたいなものもよくわからない。よくこれで会社勤めできているなと本当に思う。私を雇っている会社に感謝だなぁと書いていて思う。

 

 

さて、話を戻してどうしても法友が欲しかった私は、とりあえず先生の月1回ある法話会に必ず参加しようと思った。参加したらまず言われたとうりに実践しようと思った。ただ、全ては実践できないので1回の法話会で学んだこと1つはやろうと思った(いまだに和顔施はできてきませんが。。。)

 

 

毎回参加させていただいているうちに、顔を覚えていただいて今に至ります。皆さんが仰るには、私は場の空気が読めず場を壊しているようで(本人は全くそんな気はありませんが)なので、悪い意味で目立っていたんだと思います。

 

 

仏法学んで約3年。法友と呼ばせていただいていいのかわかりませんが、何かあれば相談に乗ってくださる方や、年末年始暇だと言えば会ってくださる方もできて、3年前から比べると随分環境が変わったなぁと思います。こんなにも変化があったにも関わらず、やっぱり今の自分には満足していなくて、もっと友達が欲しいとか思っていたりもします。すごい欲深いなぁとおかしくなります。そして、よくよく考えてみるとそう思うのは寂しいからなんだなぁと新年2日目にしてしみじみ思います。

 

 

よく先生が『エイリアンは自分が作った人生のルールで、寂しくなる方を選択して生きてきた』と何度も言われていて、その都度”何のことだろう?自分に嘘ついて他人に合わせても意味ないじゃん。だから、これでいいんじゃない?”と思っていましたが、そういうレベルの話ではなく、人と仲良くできないルールが発動して、人と仲良くしたいのに仲良くできないってお話されたかったのかなぁと今は思います。今までは、そのルールを作るきっかけとなった両親のせいだと、両親を恨んでいましたが、ルールを作ったきっかけは両親にあったかもしれませんが、実際ルールを作って採用したのは私なので、まぁ自分のせいですわな。と、いうわけで今年はルールの書き換えの年にしたいと思います。

 

こんな独り言のような内容を書いていいのかわかりませんが、ラジオのない今週はこんな感じの内容を書いていきたいと思います。

いつかセミナーでの出禁話からの先生とのお話を書きたいと思っています。